25歳の私が、会社員として働いている理由。そんなのお金のために決まってる。
今すぐ誰かが20億くれるなら、明日会社を辞めるだろう。働かなくていいのなら、一日中漫画と本を浴びるように読み漁って、ちょっと買い物に出かけてたまに運動して、毎日たっぷり8時間は寝てやる。今よりどれだけ肉体的・精神的に豊かな生活ができるだろうと思う。
でも、入社する時はこんなんじゃなかった。「この会社だったら人として成長できそう!」なんて希望で目をキラッキラさせながら入社式に参加したのだ、私だって。自分の理想と現実の温度差でおかしくなってしまいそうだ。
アルバイトなら楽しくできたけど会社は無理!
大学時代はこうじゃなかった。短期バイトから家庭教師やら飲食店、医療系…などなど色々なアルバイトを経験し、基本的には1年~4年続けた。パワハラ・セクハラ等々のひどい目にあってすぐにやめたことも稀にはあったが、それ以外は大学卒業やバイト先の閉店を機に辞めたものがほとんどだ。今でも当時のバイト仲間と連絡をとってご飯に行くこともある。思い出し笑いしてしまうほど楽しかったバイト中の思い出もたくさんある。
それなのに今は終業後と休日のことだけを楽しみに、平日は屍のようにパソコンを叩いている。なんで、こうなっちゃったんだろう。
自分がお金のためだけに働く状態を脱却するために、新卒正社員として働く今と、アルバイトだった大学時代、何が違うのかを考えてみた。もちろん給料、雇用形態、など諸々の面で違いはあるのだけれど、私の中で大きいものはこれだった。
それは「期待値と目的」。
なんで今の会社の仕事では満たされない気持ちになるの?
アルバイトをする理由は明確に学費・サークル活動費・交際費を稼ぐことであり、アルバイトであればその目的は程度の差はあれど叶えられるので、場所はどこでも問題なかった。人手不足のところは「火曜日入れるの?じゃあ採用!」くらいのスピード感で採用されるため、簡単に入社できる代わりに一つ一つのバイト先への執着はなく、お金に見合わないほど辛いことがあればすぐにやめようという、ある種割り切った指標を持てていた。
一方で今の会社は、大学時代に必死にESを書きWEBテストを解き、複数回の面接を突破した結果に得た環境だ。就活の時に何度も自分に言い聞かせていい感じに醸造された志望動機に、愛着が湧かないわけがない。自分の期待に見合う漠然とした「自己成長」という何か、自分でも具体化できないものを会社に求めているが故に、得られているのかどうかががわからず、満たされない気持ちになるのではないか。
なるほど、こうして紐解いてみると、「アルバイトなら楽しくできたけど会社は無理!」という感情はすなわち、労働に期待するものが曖昧になってしまったから生じているのだろう。
働くことの先には理想の未来があるのかもしれない
じゃあ今の仕事を通じてどう成長したいのか?なにが欲しいのか、が明確になればいいはずだけど、ここで気づく。
あれ?就活の時から私ずっと「今の会社でこう成長したい」ばっかり言っていたけど、「私がこういう人間になりたいから、その通過点としてこの会社で働きたい」っていうのを持っているべきだよね?私は就活をする中で、知らず知らずのうちに、新卒入社した会社で働くことと人生をイコールで考えちゃってない?と。
働くことの先に「どういう自分を目指しているのか」があるといいと思うから、先に人生の目標を決めてそこからおろしていくのがよさそうだ。
10年後にこんな自分になりたいこんなことをしていたいからそのために働いている。だから3年後までに○○万円の年収を稼げるようになる、とか。だから1年後にはこんな部署で△△の経験を積んでみたい、とか。もしくは今の会社である必要もなさそうなら、1年後までに××の会社に転職する、とか。
あれ? なんかワクワクしてきた。今回のエッセイテーマ「働く理由」を、勝手に「今の仕事をする理由」って思っていたけど、勝手に制限していたのは私だったんじゃん。
働くのはきっと、理想の未来に近づくための一手段だ。