私には大好きなあの子と、大嫌いなあの子がいた。

中学3年生の頃、私は少しだけクラスで孤立していた。友達がいないわけでなかった、ただ、特別仲のいい子がいなかったのだ。
それでも、春くらいまでは、3人グループに所属していた。
夏を過ぎたくらいだったと思う、そのグループにあの子が入ってきた。その子は、何故か私を嫌っていた。だんだんと、その子の存在がそのグループの中で大きくなり、なんとなく居づらくなっていき、いつの間にか私の居場所がそのグループからなくなっていた。

移動教室はいつも1人、休み時間も一緒に過ごす人がいなかったので、図書室に行くことが多くなった。
他のクラスには仲良い子がいたし、クラスでも同じ部活だった子がいた。いじめられたり、悪口を言われてるわけではない。
けれども、孤独感というのは無くならなくて、学校へ行くのが嫌だった。
あの頃、私が乗り切れたのは、本と大好きなあの子がいてくれたからだ。

つらい時にいつも隣にいてくれた、けむくじゃらでまつ毛が長いあの子

大好きなあの子は、モップのようにけむくじゃらで真っ黒で、まつ毛が長い女の子だった。泣いていればいつも黙って私のそばに来てくれて、泣き止むまで隣にいてくれた。
散歩中に学校であったことを愚痴れば、耳をこっちに傾けてくれる彼女の可愛い姿に私は救われた。顔を彼女の真っ黒なお腹に埋めていれば、嫌なことも吸い取ってくれるように感じた。
頭の良い子だった。おそらく私を妹か子分に捉えていたんだと思う。全身全霊で私を愛してるとアピールしてくれた。小さい体で私をいつも守ってくれていた。彼女がいたから私は毎日を頑張れた。

志望校を決める頃には、一人でいることにも少しだけ慣れた。一人で行動できる自分はかっこいい、と言い聞かせ、虚しさや惨めさから目を逸らした。そう自分を騙すことで、なんとか乗り切っていたのだ。
同じクラスだから、人伝に嫌いなあの子がどこを志望しているか耳にした。私は、あの子と同じ学校に行きたくない一心で、志望校のレベルを少しだけ上げた。

受かるために苦手な英語と数学を夜遅くまで勉強した。勉強は得意ではなかったが、嫌いではなくなった。本を読む量が増えていたせいか、国語は得意になっていた。
努力の甲斐もあって、渋い顔をしていた担任を押し切って決めた第一志望の高校へ何とか入学できた。

中学時代の反省を踏まえて誰にも明るく振る舞い、何でもチャレンジ

高校では、中学時代の反省を踏まえて、私は、どのグループにも所属できるよういろんな人と話しかけるよう心がけた。本来の、人見知りで恥ずかしがり屋である性格を隠して、明るく振る舞っていた。そのおかげで、グループ決めには苦労しない、比較的楽しい高校時代を過ごしたように思う。

大学でも、何でもチャレンジしようと留学、海外旅行、編入試験、いろんなことに挑戦した。向いてないと思っていた接客バイトが性に合い、今では営業職についている。

就職活動中の自己分析として、大学の友人に私の長所を聞いてみた。長所は、やると決めたら最後までやるところ、あとなんでも挑戦してみるところ、と教えてくれた。
この向上心の高さ、チャレンジ精神は、後天的なもののように思う。元来の私は内弁慶で恥ずかしがり屋、主張が苦手な子だった。
あの中学3年生の頃の経験は私を強くしてくれた。が、同時に盛大に捻くれさせてしまった。
今私を動かしている原動力の根底には、ただただ、嫌いだったあの子より幸せになりたいという気持ちがある。

あの子よりも幸せに。よくわからない思考で日々を生き抜いている

もはや、嫌いなあの子と共通の友達もいないし、彼女の名前すらはっきりと覚えていない。
あの子が幸せだか、不幸だかなんて知る由もない。
けれども、彼女より優秀でありたい、立派でありたい一心で今日も生きているのだ。プラス思考なんだか、マイナス思考なんだか、よくわからない思考で、日々を生き抜いている。

嫌いなあの子に対しては、感謝なんてできないし、するつもりはない。寧ろ、一生恨む気持ちは消えないと思う。けれども、嫌いなあの子に出会ったから今の私がある。
そして、大好きなあの子との思い出があるから、あの頃も今も乗り切れているのだ。