あの子がいたから、前を向けたのだと思う。あの子とは、私が高校三年の時に彗星の如く現れた野良猫のことだ。ニャンコ先生という。名前はいつの間にかついていたもので、由来は誰も覚えていない。
ふてぶてしさが好きだった。憎らしい動作に腹も立ったけれど
生まれ育った一軒家の縁側は、手入れされた花々が咲いていたけれど、生き物といえば蜂やミミズくらいしか訪れず、花に興味もなく虫嫌いの私はつまらない思いをしてきたが、突然猫がやって来た日は嬉しかった。
よく、膝に乗せて一緒にテレビを見ていた。一緒にテレビを見ていたというのは自己満足に過ぎず、大抵の場合ニャンコ先生はそのまま寝てしまう。そして、起きた瞬間は自分のいる場所がどこかわからなくなり、敵地で寝てしまったとでも言いたげに飛び上がると私の膝に爪を立て、慌てて家の外へ出て行く。そうして、餌の時間になると素知らぬ顔をしてまたやって来る。そのふてぶてしさが好きだった。
勿論、相容れない点もあった。近所中から餌を貰うようになった時期から、我が家の餌を選り好みするようになったのだ。
毎日与えていたカニカマを放り出すようになった。他所でネコ缶を与えられるようになり、今までの食事に「選ぶ」余裕ができたのだろう。かなり憎らしい動作だった。
その頃、母が魚を焼いた際、ちょっと余ったのを猫にやろうかと提案したが、あんなのにやるのは勿体ないよと言ってその分をばくばくと食べたくらい、私は腹が立っていた。
人が深刻にならざるを得ない事柄と関係なく生きる命に、ほっとした
庭に猫が来る生活は続いた。ちょうど、私の大学受験期だったので家はピリピリしており、呑気に寝転がって不必要ににゃあにゃあと騒いでいたのはニャンコ先生くらいだった。
頑張らなければ意味がなかったり、頑張っていても結果が出なければ意味がなかったり、そういう時期にさしかかった私を家族は気遣っていたが、慮られることすら辛い時もあった。私もまた自分の感情に振り回されていたのだ。
私の感情に左右されず、誰の忖度もすることなくただ生きていたのはあの猫くらいだった。だから、あの猫を見るとほっとした。努力だとか意味だとか、人が深刻にならざるを得ない事柄から隔絶した上で確かに生きている命が、目に見えるところにあったからかもしれなかった。
今のマンションに縁側はない。食べ物を狙って来る猫は、もういない
そんな暮らしは一年と少しで終わりが来た。引っ越しが決まっていたからだ。
引っ越しが近づくにつれて、人の出入りが激しくなり、警戒心の強いニャンコ先生が訪れる機会は目に見えて減っていった。
それでも、最後の日には顔を見せてくれた。餌を貰おうと縁側を覗き、せっせと段ボールを運ぶ引っ越し業者のお兄さん方を見ると、にゃおと叫んで一目散に逃げてしまったけれど、一瞬だけいつもと同じ顔が見られた。
それは少し悲しい風景だったが、家族でもなく友人でもない、餌を与え、膝に乗るだけの関係の私達には相応しい別れとも言えた。
今のマンションに縁側はなく、食べ物が出たタイミングを狙い澄ませて走って来る猫はもういない。
私は今年、就職が決まった。決まるまでは喜怒哀楽のうちの「怒哀」だけを繰り返すばかりの日々だった。不採用通知が届く度に自分は誰からも必要とされてないのではないかと疑い、同時に、もう二度と会えないニャンコ先生を想った。
何の役に立つわけでもなく、自分に必要なことだけをして生きているシンプルな命。あの猫を想うと、不思議と落ち着いて、感情の波を上手くやり過ごせる気がした。
お礼を言いたいが、猫にはわからない話だと思う。知ったこっちゃないとそっぽを向かれるのが関の山だ。そんなことより良い餌を寄こせと鳴く姿が目に浮かぶ。
そのふてぶてしさこそが私の好きなニャンコ先生の全てなのだから、それは仕方のないことなのかもしれないけれど。