小学校入学を1ヶ月後に控えた私は、家族で引っ越しをした。
元の家から車で15分くらい。見たことのない建物、道路、お店。6歳の私はとても遠くの知らない街に来てしまったような、そんな気持ちになったことを今も覚えている。
通っていた保育園は小規模な園で、同級生の友達は大体、保育園近くの小学校へ入学することになっていた。その小学校の校区外へ引っ越しをした私は、不安を抱えたまま誰も知り合いのいない小学校へ入学することになったのだった。
小学校入学と同時に出会った彼女は、特別で少しわがままな子だった
入学した小学校は、近所の小学生同士で班を作り、集団登校する決まりだった。それが私と彼女との出会い。この先12年以上に渡る、私と彼女の関係の始まりだった。
昔のこと過ぎて、第一印象は正直覚えていない。それくらい自然に、いつのまにか一緒にいるようになった。でも、日々を過ごすうちに彼女は、私たち普通の子とはどこか違う特別な子なんだと、幼心に思い始めていた。
まず、単純に見た目が良かった。嘘みたいに典型的ではあるが、地毛でも茶色の長い髪に透き通るような白い肌。くっきり二重の大きな瞳に長いまつ毛だった。そして、とにかく笑顔が可愛い。それは、大人になった今も変わらない。
彼女の凄いところは、見た目だけではなかった。いくつも習い事をしていたからか、字も綺麗で絵も得意。スポーツも何でもこなした。
そんな彼女のただ一つだけの欠点。それは、我が強く少しわがままな性格だったこと。そして、その性格の一番の被害者は、間違いなくこの私である。
彼女のわがままな性格の被害者は私だけど、「メリット」もあった
私と彼女の家は本当にすぐ近くで、小学校低学年の頃はよく誘われて一緒に遊んでいた。その中で、少しずつ彼女の自己中心的な性格に触れていく。
自分の気に入らないことがあると、すぐに怒ってとにかくややこしい。他の女子と仲良くすれば機嫌が悪くなり、彼女の好きな男子と少しでも喋れば怒る。そんなこんなで、どんどん彼女の事が苦手になっていった。
しかしながら、基本的には受け身で従順な私。彼女から完全に逃げられるはずもなく、適当にかわしながらそのまま何年も過ごしていた。
幼い頃から共に過ごす彼女の存在は、私の人格形成にかなりの影響を及ぼしていると思う。可愛い彼女の隣で、いつでも比較されて、否定されていた冴えない顔の私。そして、面倒事を避けたくて彼女の機嫌を損ねないように、自分の意見を押し殺した私。
ここまで否定的なことばかり書いてきたが、実際にはメリットもあった。それは小学生時代からすでに築かれ始めている、女社会のカースト問題である。可愛くて何事もそつなくこなす彼女は学年が変わっても、中学へ進学しても常にカーストはトップクラスだった。周りには可愛い子が集まり、異性からも当然モテて学年問わず人気者。私はそんな彼女のお気に入りとして、周りからはよく羨ましがられていた。
結局、腐れ縁のまま高校でもまさかの同じクラス。変わらず人気者の彼女は、私がどれだけ低いカーストにいる時も態度を変えずに親しく接してくれていた。私が一部の女子から冷たくされていた時ですら、彼女は私に今までと変わらない態度を貫き通していた。そんな彼女に救われたことも事実なのである。
私の学生時代には彼女がいて、好きも嫌いも含めて特別な存在だった
大人になった今分かるのは、彼女の我の強さは、欠点でも魅力でもあったこと。
ずっと何年も、私は彼女のせいで卑屈になって、自分の意思を持てなくなったと思い込んでいた。けれど、影響があったとはいえ、その考え方を選んだのは紛れもなく私自身だった。成長していく中で、変わろうと思えば、いくらでも変われたはずなのだ。
でも、いつしかそれを諦めて、他人の意見に従う方が楽だと私は逃げていた。それは間違いなく、私自身の弱さだった。
彼女は、自分を優先する生き方で、それは周りからしたら自己中心的だったのかもしれない。幼い私には、困った相手だったかもしれない。それでも私の学生時代にはいつも彼女がどこかにいて、好きも嫌いも含めて特別な存在だった。
そんな彼女がいたから、社会で必要な周りに合わせる術を得たし、どれだけ卑屈に自分自身を否定していたとしても、魅力的な人を素直に褒められる力がついた。
大人になって久しぶりに彼女に会った時、「あんたのこと嫌いだった」と冗談っぽく伝えた。半分本当で半分は嘘。でも、彼女は全然気にした素振りもなく「私は昔から大好きなのに」と大笑いしていた。妬む気すら起きないくらい、あの頃のままのとても可愛い笑顔で。