「ほら、始めるよ!」
近くで話しかけて、やっとスマホから目を離す同級生。
私は子ども向けの劇を公演するサークルに入っていた。11月の大学祭で3年生が引退して2ヶ月が経つ。私たち1年生から緊張感は薄れて、その内の何人かは練習中もスマホをいじっていたり、遅刻を繰り返したりするようになった。私はそんな態度を見るとやる気を削がれるので、声をかけることにしていた。
遅刻を繰り返していると、いつか切り捨てられてしまうかもしれない
「最近ちょっと遅刻多くない?」
サークルの全員が集まる場で、先輩が切り出した。最近の1年生の態度は目に余る、と。2月におこなう冬合宿までに、サークル活動や参加態度について各自の考えをまとめてくることになった。
合宿の初日。公演を終えて宿に帰った。荷物を部屋に置いて、レクリエーションスペースに十数人が集合する。外には自分の身長と同じくらいの雪が積もっている。室内は暖かく寒さで硬直していた体が緩む一方で、心臓は硬く強く脈打っていた。
辺りを見渡すと、みんないつもと少し違う表情をしている気がする。みんなは何を話すつもりなんだろう。どことなく上滑りな調子で公演の反省会を終え、各々のサークル活動への思いを話すことになった。
1年生が一人ずつ話していく。真剣な言葉にうなずきつつも、自分が何を話すかで頭がいっぱいだった。
私の番が来た。嫌な音を立てて鳴る心音を無視して口を開く。
「遅刻を繰り返していると、いつか切り捨てられてしまうかもしれないと私は思う」
遅刻をすると、その人がいない場面から練習が始まる。それが続くと、少しずつその人はいなくて当たり前になる。それは、その人の存在が切り捨てられたのと同じことだ。
遅刻を繰り返していると、いつか切り捨てられてしまうかもしれない
私がそのとき思い出していたのは、高校の部活のことだった。同級生の女子は私を入れて4人と少なかったが、いつのまにか3人と私という構図になっていた。
何かきっかけがあったのかもしれないが、私には覚えがない。部活に行くたびに3人でどこへ行った、何をした、と聞かされた。
なぜ、そこに私は加われないのだろう。「仲間に入れて」なんて子どもじみていて言えなかった。つらい時間を耐えるために真面目に部活に取り組んだ。その結果、先生や先輩によって部長に選ばれ、ますます3人と距離ができた。
サークルでは真面目に活動に取り組むことが、そのままサークル員との距離を縮めた。単純明快。うれしかった。
だから、遅刻する同級生の気持ちがわからない。遅刻や練習の不参加なんてつまらないことで、自らの不在を当たり前にしないでほしかった。私はもっといっしょに活動したかった。
緊張のあまり、みんながどんな顔をして聞いているのか見れなかった。でも、言いたいことを言えてホッとしていた。
彼女の目に私は誰かを切り捨てる冷酷な人に見えたのだ
次に隣に座る女の子が話し始める。
「遅刻はよくないことだと思う。でも……切り捨てるなんて、そんな悲しいこと言わないで」
彼女はいわゆるムードメーカーでいつも楽しそうに笑っている人だった。けれど、いつもの笑顔はそこにはない。少しずつ声が震えて、彼女は泣き出してしまった。
胸のあたりにサーっと冷水を注がれたような心地だった。
規律を守ることで「真面目」とか「いい子」と見られて、実際の自分とのギャップによく悩んでいた。
でも、今回は違う。彼女の目に私は誰かを切り捨てる冷酷な人に見えたのだ。他でもない、私自身の言動によって。
私の言葉を「切り捨てる」という宣告として受け止めたのは、彼女だけではなかった。次に話す子も、その次の子も、異を唱えていた。
「たかがサークルにそこまで求められても……」
私はもう何も言えなかった。
その会が終わってから、お互いに熱が入ってしまっていたと謝りあって和解のようなことをした。でも、微妙なバランスで保たれていた何かを壊してしまったことに変わりはない。
4月になると、泣いてしまったあの子含む数人が違うサークルへ移っていった。それは「切り捨てる」とかそういうことではなくて、それぞれの前向きな選択の結果だったと思う。
春が近づくと、この出来事を思い出す。言葉ひとつで見られ方は変わる。自分が今までしてきた行動も伝えてきた言葉も思いも、一瞬で死んでしまうのだ。それは、自分と他者が明確に分かたれたものであることに気づけた瞬間でもあった。