高校時代、部活に一番小さく、キュートで、年上でもついついだれでも「あの子」と呼んでしまう「先輩」がいた。
先輩とは女子高校時代の生物部。部活動の部室にいたカメ(♀)だ。
名前はよくわかっていない。みんなカメコとかカメちゃんとか適当に呼んでいた、本名不明のでかいミシシッピアカミミガメのことだった。
私が入学した時点で20歳を超えていた。いわゆる成人済みの大先輩だった。

エビが好きで、逃げ足も早かったカメに勇気をもらった

私は生クリームが苦手だった。自転車通学だった私は、友達と帰り道にファミレスでパフェを食べるようなこともなかった。
そんな中、生物室にいた先輩の好物はエビであった。あげると非常に食いつきがよく、バリバリと食い散らかす姿はワイルドで最高にキュートだった。
女子高生だから可愛いものを食べる義務はない。女子高生らしくないとか言われても、べつに海老煎餅が好みでも良い。

コンビニで買ったえびせんとチータラは、部活のおやつの思い出の味だったりする。
女子大生になった時に、友達に「ラーメン食べに行こうよ」と最初に声をかけられたのは先輩とのこの時間があったからかもしれない。

先輩は一度だけ、脱走したことがある。
部員の我々が、脱走に気づいた際、全力の鬼ごっこを果たしたとしても、とうとう捕まえることができなかった。
2週間後、側溝をかけずりまわっていた先輩を捕獲することができたのは硬式テニス部の顧問だった。
終わった後、高いガラス内の反省部屋に泥まみれで入れられた後も3日くらい先輩は暴れ尽くし、ガラスをバンバンと叩いていた。

足は早いが、か弱い先輩の腕ではガラスをかち割ることはできなかった。
大人しくなった頃に、部室の定位置に戻された。
「部活動リレー、先輩出たほうが早いですよ。先輩ぜったいいい記録取れますよ。
カメなのに足が早いって、最高じゃないですか」
そう、私は先輩に部活時に話しかけた。
常識を超えてばかりのしたり顔の先輩に、変な形の勇気をもらった。

まあいいか、と幾度となく笑わせてもらった存在だった

在学中、先輩が一度だけ涙を流す時があった。
恐ろしいことに、無精卵の出産時であった。
卵を産んだ先輩はどこかすっきりしていた。
女子校特有の、婦人科系の悩みに対しても、「そうね。生理現象よ。やんなっちゃうわ」とでも言いたげなすっきりした顔でこちらを見ていた。

空が綺麗な日に限ってプール休みのブルーな日なのに、お腹が痛いとぶすくれて残っていた友達となんとなく笑ってしまった。
そりゃTPOはあるけど。嫌な時は別に辛気臭くしなくても良い。

先輩の所属は、当然生物部にして、生物室だった。
当然ながら一番小さい部員の先輩が、どうあがいても最年長であった。
先輩は入学してから、卒業してもいてくれる。勝手にそう思っていた。
カメだから、生命力がタフだから、心配ないだろうと思っていた。
高校時代、人生の随所で、まあいいか、と幾度となく笑わせてもらった存在だった。

大学生になって成人してちょっとすぎたある日、部活の後輩から、先輩の訃報を聞いた。
部長だった私は、部員のみんなにひたすらメッセージを送った後、泣きながらえびせんとチータラを買って食べていた。
後に、数人が同じことをしていたことが判明したため、笑ってしまった。
「いいんだよ。お通夜とかお葬式って、悲しいのもあるけど、その人のことを思いだしてあげなきゃ」
「とても女子高生だった集団の集まりとはおもえんなぁ」
「いやぁ、私たちも先輩と同じくらいになったってことよ」
「前々からそうだった気がするけどな」
そう、同級生と話した。先輩に救われていた女の子は、いっぱいいたんだなぁ。

女子高生だって塩気のあるものもうまいし、全力で走るし、腹は痛くなってナーバスになる。それは大人になってもかわらない。
嫌な「らしさ」じゃなくて、私たちらしさを。女子校にいた先輩がくれた、いまでもたまに支えになる、ありがたい価値観である。