「ほうれん草のおひたしが忘れられない」と友人に言われた。友人が言うほうれん草のおひたしというのは、大学時代に私の部屋に遊びに来た際、私が朝食で出した一品だ。質素なものだがご飯と数品のおかずを提供したことを、友人はいたく気に入ってくれた。

「食べる人間の健康を考えた素晴らしい一品だ」と、3年ほど前の朝食でありながら、今でも熱く語ってくれる。

しかし、私にとってそのほうれん草のおひたしはただの見栄であった。

一人暮らし=自炊のイメージに応えるべく、エンタメ自炊をしていた

当時の私は、“一人暮らし=自炊をしている”のイメージに応えるために必死だった。学校に行っても、バイト先に行っても「一人暮らし?なら自炊してるの?えらいねー」と言われていた。

正直なところ、自炊はほとんどしていなかった。「まあ、それなりに」と見栄を張り、苦笑いしながら答えるしかなかった。世間の一人暮らしのイメージは、こんなに自炊を求めているものだと実感した。

そして、私はイメージに応えるためだけに、親や友達が部屋に泊まりに来た時のみ、自炊をした。自分のための自炊は一切しない。「さすが一人暮らし!ちゃんと自炊してる!」と思わせるためのエンターテイメントとしての自炊しかしなかった。

そもそも私は、自分の作る料理に自信がなかった。一人暮らしを始めて間もない頃、チャーハンを作ろうとして巨大スライムのようなものを作ったり、冷蔵庫のきのこにカビを生やしたり、シチューを焦がしたりといった失敗をした結果、自炊のやる気が出なくなった。

その上、自分しか食べないものだからと、とにかく手を抜いて作る。慣れてないのに目分量に頼って作り、不味いものを作り出し、やっぱり自分って料理できないのだなと落ち込む。美味しいものを作ろうと思った時だけ、しっかりレシピを調べ、完全にレシピ通りに作る。それ以外は美味しくしようという気力もなく、不味いものを生み出す。そんな自分の自炊スタイルが嫌になり、長らく自炊を止めていた。学食の安いメニューで食いつなぎ、ファストフードにがっつき、自分の健康に見向きもせず、ジャンクな生活をしていた。

恋人の胃袋を掴むために自炊を始めるかと思ったら振られ、また中止

そんなある日、当時好きだった男の胃袋を掴むために突然、肉じゃがを作り出した。ネットで検索して見つけたレシピに、忠実に従ってできた肉じゃが。料理慣れしているように見せるために頑張ったが、料理慣れをしていない故に糸こんにゃくを切るという発想がなかったのが唯一の欠点だった。

長すぎる糸こんにゃくをラーメンのようにすすりながら食べてもらう形になったが、彼から「美味しい」の言葉が出た時、少しだけ自信がついた。

これを機に自炊を再開するかと思ったら、彼にお熱になり、自炊どころか自分自身のことを疎かにするようになった。

彼に振られて、自分の時間ができ、自炊を再開するかと思いきや、また別の男にお熱になり、中止。これを何度も繰り返すうちに、大学生活は終わってしまった。

コロナ禍で自分の時間が増えた結果、急激に料理をするようになった

社会人になった私は、土地を変えて一人暮らしを続けていた。世はコロナ禍真っ只中。男に情熱を注いでいる場合ではない世界になってしまった。自分の時間が増えた結果、急激に料理をするようになった。社会人になり、体調を簡単に壊せない環境になったことも相まって、健康にとにかく気を遣うようになった。

鍋を焦がしたり、食材の消費期限を切らしたりすることは今でもやってしまうが、失敗しても次は気をつけようと思うようになり、毎日のように自炊を続けている。今ではレシピをググらずとも、肉じゃがを作れるようになった。何なら、グリーンカレーだって作れる。料理の国境を軽く越えられるレベルになった。

私を振った彼らは、私の自炊している振りでも納得してくれた親は、ほうれん草のおひたしですら大喜びしてくれる友人は、失敗に落ち込んでいたかつての私は、今の私を見て何を思ってくれるだろうか?