私の第一印象を聞くと、「少し怖そうで、サバサバしていそう」がベスト3には入るだろう。それは思惑通りだ。それでいい。そのほうがいいに決まっている。100m走で言えばゴール手前20mからゴールを見えていないふりをする。そう、私はそのほうがいいに決まっている。
幼い頃は、母の後ろに隠れ周囲を伺い、なかなか友達の輪にも入れないこともしばしばあった。小柄で口元にえくぼが2つ、くせ毛でふわふわロングヘアの私が「少し怖そうで、サバサバしていそう」を意識するようになったのか。
孤立を避ける為の行為、それは100%気の無い態度を取ることで傷つかない方法
「アイツ、お前のこと好きらしい」
その噂はクラス中に広がった。好きな人の噂を耳にして少し弾む気持ちとなんと返せばいいのか分からず戸惑っていた。
翌日、友達だったはずの数人からは挨拶が返ってこなかった。数日後、聞こえるように「本当にぶりっ子だよね」という声が聞こえてきた。私は数日の間、‘‘孤立‘‘を味わった。思春期の10代の心に傷がつくには十分だ。
悩んだ末に、噂を耳にした私は「こっちは全然好きじゃないのに」と返すことに決めた。自分の気持ちに蓋をするほうが簡単だからだ。
全然辛くない、苦しくない、大丈夫、大丈夫。それからも何度か同じ場面に立ち会いそうになったが避けて、避けてきた。異性と目が合えば視力が悪いふりをして目を細める。笑顔なんてとても向けられない。すると、「目つきが怖い」と言われるようになった。思惑通りだ。
自分磨きに周囲が興味を湧き出した頃には、私はそれに興味がないように振る舞った。好きな人が出来ても勘違いだと自分に言い聞かせた。
相手も好意を持ってくれていると気が付くと、「好きじゃなかった」と思い込ませる。そう、両思いというゴールが見えると私はペースダウン、もはやスタートに戻ろうとする。
だって、‘‘孤立‘‘したくないから。あんな苦しい思いをしたくないから。数年経ってもいまだ苦しめる‘‘孤立の数日‘‘は憎らしい。
ちなみに孤立を招いた友達だったはずの人たちさえ憎い。そこから数年かけた私の姿は、本当は大好きなお花には興味がないふりをして、パンプスを選びたいがスニーカーを履いた。すると、「サバサバしていそう」と言われるようになった。思惑通りだ。
思惑って、もしかしたら凝り固まってたのかもしれない
第一印象が私に定着すると、心に傷がつくことはなくなった気がしていた。
「どうして‘‘好き‘‘が丸見えなのに好きじゃないふりをするの?」と彼に言われた。予想外だ。
ゴール寸前だ、見えないふりをしないといけない。返す言葉が見つからず、戸惑っていたら「大丈夫、大丈夫」と彼は私の手を握って笑っている。「私、怖そうだしサバサバしているし女子っぽくないでしょう?」と問うと、「怖そうでサバサバしていたら‘‘好き‘‘になったらだめなの?」と返ってきた。
あ、私の思惑は少し偏りすぎていたのかな。
そうだ、好きなものを好きと言える人が羨ましかった。傷つくことが怖くて避けていた。
‘‘孤立‘‘を乗り越えるためには、必要な私の見せ方だと思っていたが避けているだけだったのか。
私は小心者だから、今後も出来るだけ傷がつかないように私の思惑通りに振る舞うだろう。しかし、彼と一緒に住む部屋にはお花を飾り、出かけるときはパンプスを履く。好きな人の前くらいは好きなものを好きと言える自分でいたいからだ。