「前の彼女とは3年続いたから、あと1年続けば勝てるね!」

2年記念日を迎えた時に、彼に言われた言葉だ。
完全に余談だが、私は愛を自家発電できるタイプの人間だ。もう無理、と思ってコンセントを抜いてからも、しばらくは思い出や愛してきたプライドを原資にして、幸せな交際のふりを続けることができる。

きっとそうだ。だから彼は今も、あの言葉が決定打となって私たちが別れたことを知らない。
ううん、自分が自分でも気づかないうちに私にずっと重い任務を課し続けたことが結果的に私を手放したことを知らない。
いや、私達の生きる時間軸がそもそも異なっていたことがゴールを違えたことを知らない。

自分のふられた理由を知らない。

「前の彼女」の思い出が定期的に私たちの間に割って入ってきて

高校時代のまるまる3年交際した“前の彼女”という存在は定期的に私たちの時間に割って入ってきた。
“前の彼女”と同じ名前のタレントがいたら応援し、テレビに“前の彼女”との思い出の場所が映れば反応する。
これだけ読めば未練があり、私が相手にされていないと思われると思うし、もしかしたらまさにその通りだったかもしれないけれど、彼は不思議なほど屈託無く言うのだ。無邪気な笑顔を見せて言うのだ。
まるで子供の頃好物だったお菓子を見つけて、「これ好きだったんだよね!」と言って懐かしく見つめる時のような顔で。
まるでクローゼットから昔よく着たお気に入りのニットを引っ張りだして「これ本当に着心地が良くてずっと着てたんだよ。」と言って頬に擦り当てるような顔で。

彼にとっては単なる綺麗な思い出なのだと思う。綺麗で楽しくて、たまに取り出して眺めたいような、慈しみたいようなそんな思い出なのだと思う。
自分のことが好きで、自分の人生が好きで、だからそこで出会った登場人物たちはみんないい人で、彼ら彼女らが今の自分を形作っている。「ほら、君の好きな僕を作ったのはこの人達なんだよ。」そういう感覚だ。

前の彼女のことを知りたい。自分への愛情を試す踏み絵の言葉なのに

未練とはまた別の、そんな純粋な感情が私を苦しめ続けた。そんなふうに綺麗に別れることができるのなら、いい人のまま彼の人生に残るつもりなら、まだ愛しているのなら、私なら別れない。
別れを決意する日には心臓がちぎれるほど悲しくて、歯型が残るほど憎らしくて、もしくは喉が渇くほどに無関心で、そうであるべきなのだ。心から愛した人を毎日から追い出すためには、それぐらい苦労を伴うべきなのだ。

彼に綺麗な別れを残して去った“前の彼女”はどんな人だったのだろう。
女ならみんな気になるはずだ。愛する人の過去の恋愛。聞きたいけれど、本当に知りたいのはその人の詳しい話なんかじゃない。

「もう前の彼女のことなんか忘れたよ、今は君のことしか考えられない。」

そんな言葉だ。踏み絵なのだ。自分への愛情を確認するための踏み絵。
なのに彼ときたら素直に屈託無く、ペラペラと話した。綺麗な思い出を私に躊躇なく分け与えた。好きなお菓子を半分に分けるように、お気に入りのニットを貸してくれるように。

見えない誰かと戦い続けることは苦しい。だから彼をふった

前の彼女の姿は見たことも会ったこともないのに、私の頭の中に鮮明に浮かんだ。私は彼のように純粋ではないから今を生きるのが深刻だった。だから彼の思惑とは違い、私は次の瞬間からずっと“前の彼女”と戦わなくてはならなくなった。
唯一無二の彼女であるべきなのに、誰かと戦いながら恋愛をし続けることは本当に苦しい。私は私だけでは存在できない。
仮に彼が私に、あっと驚くような誕生日のサプライズをしてくれたとしても、熱が出た時に全てを投げ打って駆けつけてくれたとしても、毎晩眠るまで柔らかな声を聞かせてくれたとしても、彼の愛している私は〝前の彼女〟と戦っている私にすぎないから。所詮“前の彼女”がいなければ存在できなかったのだから。

その戦いに疲れて、戦うのをやめてしまったら、私自身は白い煙のように跡形もなく消えてしまった、というのが私が彼をふった理由だ。