「かわいい」
彼は確かにそう囁いた。人肌の温もりと少し早めの鼓動を感じながら、優しいまなざしが今とても愛しい。

視線を可愛かったはずの私に戻そうとした。「かわいい」って言ってよ

しかし、その視線から灯が消え、自分のストーリーに入り込んでしまう。
私の足の傷を見た途端に。

ことを終えた後の「痛い?」は行為に向けられたものではないと分かっている。「全然痛くないし、昔のことだから覚えてないよ」と笑って、相手の視線を可愛かったはずの私に戻そうとする。今日はメイクもうまくいったし、ちょっといいリップつけてるんだからこっち見てよ。また「かわいい」って言ってよ。忘れさせるから、こっち向いて。

傷を隠して再三微笑んでみたが、彼はずっとぎこちない表情をしている。
「気になる?」
彼に聞いた。
「何が?」
「足の傷」
「…」
普段なら一々聞き返さずに言いたいことは言うのに、この日ばかりは黙り込んでいる。
「はっきり言ってほしい」

2歳の時に足の付け根を手術した。主治医から「傷跡は一生残る」と言われ、26年経った今でも手術痕がしっかりと刻まれている。生後間もない私が乗り越えた最初にして最大の試練の勲章。だからどんなにいいレーザー治療を勧められたり、高い傷消しクリームを勧められても試したことがない。それと同時に、変な位置にあるほくろみたいな存在でもある。普段は気にしていないのに、周囲に指摘されて思い出すやっかいなやつ。

気遣いするくらいなら「怖い」「キモイ」と言ってくれた方がマシ

この傷最大の後遺症は、傷を見た途端に皆がそれぞれの物語を作って戻ってこれなくなることだ。「かわいそう」の後に「気にしてないよ」「大丈夫だよ」と言いながら、彼らの視線の先に私はいない。それが分かった途端に、孤立感を抱いてしまう。そんな気遣いするくらいなら「怖い」「キモイ」と言ってくれた方がマシ。

とはいえ、自分もこの傷を利用してきたので周囲を批判できない。どこかで傷持ちの自分をかわいそうだと思う節があった。皆の目つきが変わったと感じながら、察して、察しなきゃの狭間で取り越し苦労ばかりして、自分の言葉と、伝える勇気を持つことが必要だったのに、そこから逃げ続けてきた。そしてストレスが爆発すると、周囲の人だけリセットして自分はいつまでも変わろうとしないのだ。

冒頭の彼と出会ったことは、青天の霹靂みたいなものだった。口数は多くないが、言いたいことはっきり話して、表情も豊かな人だった。出会った日から「かわいい」と何度も言われ、一緒に作った若干焦げたピザを食べながら「一緒にいれて幸せだよ」「好きだよ」と笑う。最初はお世辞だと思っていたが、いつの間にか本音と信じられるようになった。今はなぜか褒め言葉しか思い出せないが、お惚気ではない。強がりである。

彼と過ごしながら、嬉しかったことや楽しかったことをその通り受け取れるようになった。泣きたい時に我慢しなくなった。腹が立っても感情に先走ることが減った。人付き合いが相手の見えない期待に応えることから、お互いの思いを共有する感覚に近くなった。

この人なら話し合うことができるかも、と期待してしまったのだ

彼が私の足の傷跡を見て明らかにドン引きし、思いっきり目をそらしているのに気づいてショックだったが、なんとなくこの人なら話し合うことができるかも、と思った。信頼と実績の彼に、期待してしまったのだ。
現実はそう甘くないって言ってるのに。

「気持ち悪い」
「君のことは好き。でも本当にそういうの苦手なんだ」
「…消せないの?」
山ほどの思いを矢継ぎ早にぶつけられ、理解できた言葉に限って辛辣で、ぐうの音もでなかった。しばらくの間放心状態だったが、「気持ち悪い」とか「苦手」は理解できるものの、傷を消せないか、という提案で我に返った。

「無理だね。私はこのままがいい」
彼をまっすぐ見つめて言った。誰かに立ち向かう時、決まって左手が痛くなるほど握りしめるが、今回はそうはならなかったことを成長と捉えたい。
数年ぶりにできた彼とはこの後すぐに別れたが、絶縁せずに友達になった。現時点では連絡を取るどころか涙で前が見えないが、いつも感情や建前に振り回されてきた私にその乗りこなし方を教えてくれたのは元彼なので、出会えたことに感謝している。

もう自分をかわいそうだとは思っていない。こうなる以前の日々や、無傷の足で生きる人々を羨んでもいない。それは本当に失いたくないものを守ることができたからだ。この傷跡しかり、今まで乗り越えたり、培ってきたものに自ら愛情を向けられたから、傷ついても、後悔はしていない。 

とはいえ、今年本当にろくなことがない。師走を目前に、時間が無駄にならなくてよかったととりあえず思うことにする。そうじゃなきゃやってられない。