先日、実家から小さな段ボールが送られてきた。
「珍しいな」と思いながら、母に御礼の電話を掛ける。それにしても随分軽いな。

すっかり忘れていたたくさんの思い出に埋もれ、一つ一つ読んだ

「納屋を整理していたら、あんたの荷物がでてきたのよ。大事なものだと思うから送ったの」
本題より長い近況報告のあと、母はそう言った。
そんな大事なもの、実家の納屋に置いてたっけなぁ?
電話を切った後、首をかしげながらガムテープをべりべりとはがす。出てきたのは、段ボールより一回り小さい、紙袋。なんだこれ?

ひっくり返して中身を出してみると、どさっとたくさんの手紙が床にあふれた。
「あーっこれかぁ!」
急に思い出し、一人暮らしのワンルームに思わず感嘆の声が漏れる。懐かしくて笑みがこぼれた。
それは、私が幼いころからため込んでいた「大切な人たちからのおてがみ袋」だった。

一番最初に目についたのは、小学生の頃に流行っていた、パンダのキャラクターのレターセット。そういえば当時の友人と一緒に、未来の自分たちへ手紙を書いたんだっけ。
『未来の私たちへ
ひさしぶり!これは2002年の私たちからのお手紙だヨ!私たちはまだ親友のままかな?もし絶交していたら、このお手紙はやぶってすててね!』
なんとも薄っぺらな内容に、思わず苦笑する。2002年の私よ、その子とは今はもうフェイスブックとインスタでなんとなく繋がってるだけの関係だ。絶交はしていない代わりに、続いているとも言い難い希薄な関係よ。

他にも、たくさんの懐かしい手紙が入っていた。中には、高校生の頃の恩師から卒業時に戴いた手紙や、昨年亡くなった大好きな祖父からの年賀状もあった。久しぶりに目にした、達筆な祖父の文字には、思わず涙が出た。
すっかり忘れていたたくさんの思い出に埋もれながら、一つ一つの手紙を開いては読んだ。

二度と会わないかもしれない彼に、心の中でありったけの感謝を述べた

最後の方に、真っ白の封筒が出てきた。徐々に流れ作業のように開封していた手が思わず止まる。
入っていたのは、きれいに折りたたまれた、真っ白な便箋。几帳面な字が連なっている。
『22歳の誕生日おめでとう』
冒頭にそう綴られている。心臓が飛び跳ねるのを感じた。これは当時、遠距離恋愛をしていた元彼から届いた手紙だ。

『22歳の誕生日おめでとう。今年もこの日を迎えられて嬉しいです。
昨日の電話で、“生まれてこなかったら良かった”って言っていたけど、そんなこと言わないで。僕が大好きな貴女が生まれてきてくれた大切な日にお祝いさせてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。
お互い大変な時期だけど、これを乗り越えたら迎えに行くね。大学院を卒業したら結婚しよう。』

跳ねていた心臓は急に音を潜め、息ができないくらい胸を締め付ける。
当時の私は、誕生日直前に父と大喧嘩をして、そのとき父から受けた「お前なんて生まれてこなければよかったんだ!」という言葉にショックを受け、悲しくて悲しくて、電話越しに彼に慰めてもらったんだっけ。

結局、その彼とは、大学卒業後に社会人と大学院生という違う道に進んだことですれ違いが重なり、卒業を待たずに別れてしまった。
でも、もしその時、彼の手を放さなかったら、今の私はどんな私だったのだろう。
本当に結婚していたかもな。そしたらもう子どももいたのかもしれないな。
別れた後のたくさんの経験は得られていないかもしれないけど、それはそれで幸せだったのかもな。
なーんて。私からお別れを切り出したくせに、勝手な妄想だ。
もう二度と会うことはないかもしれない彼に、心の中でありったけの感謝を述べて、手紙を封筒にしまう。

たくさんの人に愛され、支えられながら生きながらえてきた

小学生の頃、たしかに親友だったあの子や、つらい時期を支えてくれた、大好きだった彼につい連絡を取りたくなったが、思い直してやめた。
私たちは違う道を歩き始めてから随分経っている。若かりしあの頃を懐かしく思うが、それは私の個人的な懐古であり、別々の道でそれぞれ頑張っている私たちの人生をわざわざ交差させなくてもいいよな、と思ったからだ。

たくさんの手紙を受け取った、どのタイミングの私よりも歳を重ねた私は、読み散らかした手紙たちをもとの紙袋に丁寧にしまった。随分と長い時間、読みふけっていたようだ。いつの間にか日は傾き、部屋が夕陽でオレンジ色に染まっていた。
私は今まで、たくさんの人に愛され、支えられながら生きながらえてきたんだな。そう考えると胸がいっぱいになり、その日はなかなか寝付けなかった。

このできごとは、私に一つのことを教えてくれた。
手紙一つ一つはわずか数グラムの紙でしかない。言葉なんて質量すらない。
でも、それらは、心の中で何倍もの大きさと重さになるのだ。
たくさんの言葉たちは、私たちに様々な感情を与え、成長させてくれる。その代わり、そのすべてを両手に持って歩くには、私たちの両手は細すぎるし少なすぎる。

だから、普段は開けない頭の中の箱に大切にしまっておくのだ。何かのきっかけ――例えば、今回の手紙のような――があれば、たちまち当時の感情を思い出すことができるだろう。
でも、思い出すのは何年も後のことかもしれない。もう気軽に御礼を伝えられるような関係性ではなくなっているかもしれない。
だから、感謝は伝えられるときにしっかり伝えよう。今の私を大切にしてくれる人たちを、私もうんと大切にしよう。

実家から送られてきたタイムカプセル。私は新たに1枚追加して、クローゼットの一番奥にしまった。
新しい1枚の私宛の手紙は、あと何年先の私が見つけるかな。