私は初対面から素の自分を見せることができない。
自分から積極的に友人の輪を広げることは苦手で、初対面の人やそこまで親しくない人と接する時は、馴れ馴れしい人だと思われないように大人しい自分を見せ、仲良くできそうだと分かると徐々にありのままのおしゃべりな自分を見せていくようにして、距離感を誤らないようにしてきた。
臆病になった原因を振り返る。馴れ馴れしい人だと思われたくなかった
こんなに臆病になってしまった原因は、中学に入学してすぐの頃にまで遡る。
新しい環境で友達を作りたい一心で、自分のことを何でもかんでも人に話していた。しかし、仲良くなれるどころか、ノリが違うからと逆に距離を置かれてしまった。
この経験がトラウマとなり、人と関わることや、おしゃべりが好きというポジティブな一面はなりをひそめ、引っ込み思案で人見知りの気が強くなり、臆病で、目立たないようにルールからははみ出さない真面目な性格に変わっていった。
そして学生時代は、馴れ馴れしい人だと思われたくない一心で、大人しいように見せて、引っ込み思案な一面を悟られないように、おどおどしないように気をつけていた。
就活中、友人に見え方を尋ねると、思いがけない答えが返ってきた
就活をしていた時、とある会社の面接担当者から、「周りの人からはどんな人だと言われるか、その人物像にギャップはあるか」という質問をされ、「見ての通り、最初はまじめで大人しい人だと見られるが、仲良くなると明るくて面白い人だといわれる」と答えた。
その面接官の反応は微妙で、私は答えを間違ったと悟った。その時流れた気まずい空気を今でも覚えている。
他にも理由はあるかもしれないが、正しく自己分析できていないことが露呈してしまい、その会社の一員になることは叶わなかった。
お祈りメールが届いてから、一番仲の良い友人に、私はどう見えているのか聞いてみた。
友人の答えは、「話す前の初対面の時は、運動部に入っているから陽キャタイプだと思っていたが、話してみると人当たりが良くて話も面白く、性格は真面目で継続的に努力できる人」であった。
引っ込み思案な自分は仲の良い友人にも見えていなかったようで、面接後にようやく、他人に見えている自分を正しく捉えることができた。
それからの面接で同様の質問をされた際には、大人しいという文言を封印し、「明るくて面白いけれど真面目で努力家な面もある」と答えるようにした結果、今働いている会社の内定へと繋がった。
「ありのままを見せてもいい」いつの間にか自然体でいられることができた
この春から部署の異動により、心機一転新しいコミュニティに飛び込むことが決まった。
ある時上司からいただいたフィードバックで、私の強みには「物怖じせずにコミュニケーションするところ」という文言があった。
また、同僚に新しいチームの人間関係が不安とこぼすと「またまた~冗談はやめてよ」といった雰囲気になる。
同じチームメンバーと長年働いているうちに、大人しい自分を見せることはなくなっていて、自分を作らずに自然体で接しているおしゃべり好きな私こそが私だと、チームの中では認識されていることがわかった。
それと同時に「ありのままを見せてもいいんだよ」と背中を押された気持ちになった。
異動後の部署では、大人しい自分を作らずに、ある程度関係構築できている前提で振る舞ってみようと思う。
自分を作らずにコミュニケーションを取るのは、守備力不足の不安と、過去のトラウマが頭をよぎるが、他人から見えている自分と、本来の自分とのギャップを少なくした状態から、新しい環境での立ち位置を模索してみたいと前向きな気持ちになっている。