「自分の人生に影響を与えたと思うコンテンツをあげられるだけあげてください」
12月上旬、気になっていた企業のエントリーシートでこんな設問に出会った。
せっかくだから幼少期から振り返ろうと、まず本棚に向かった。この20年でお世話になった歴戦の本たちを眺めている時に、ふと目に止まった本があった。

幼い私に感動をくれた本。感謝の言葉を伝えたかったが…

小学生の頃、人生で初めて買った漫画の単行本だった。
天国での少年少女たちの話なのだが、小学生だった私は物語で初めて「感動して大号泣」を味わった。何回読んでも、結末が分かっていても泣けるのだ。絶対単行本が欲しい、一生手元に置いておきたいと初めて思った。

何度も読み直してボロボロの本が愛おしくて、思わず手にとった。せっかくの機会だし、改めて読み直そうとページをめくる。いつの間にか終わりまで読んでいて、気付いたら自分の瞳は潤んでいた。

ふと最後のページまで見たときに、ある一言が目に飛び込んできた。
「ファンレターはこちらまで」
その下には出版社の住所が載っている。

ハッとした。
ずっとこの先生にファンレターを書こうと思っていたのに、この作品に出会えて本当に良かったと、大好きだと伝えたかったのに、いつの間にか忘れていたのだ。
小学生の頃は「中学生になってもっと字が綺麗にかけるようになってから書こう」、中学生の頃は「高校生になってもっと文章が上手くかけるようになってから書こう」とずるずるやっているうちに忘れてしまっていた。
ああもう、なんて馬鹿なのだろう。

思わずWikipediaで先生の名前の検索をかける。ここ5年くらいは特に漫画は書いていないようだ。手紙を書いたとして届くとは限らない。思わず弱気になる私に「でも届かないとも限らないじゃない」と小学生の私が怒っている気がする。

「またいつか」という日は、きっと来ると思っていた

「よっしゃやるぞ!!」と気合を入れて、とっておきの便箋を取り出したけれど、どんどん不安になってきた。
仮に読んでもらえたとしても迷惑なのではないだろうか、どこかの言葉で不快な気持ちにさせてしまったらどうしよう、と嫌な考えが頭を巡った。怖いのだ、とてつもなく。

でも、このままじゃ駄目だ。
私の脳裏には棺の中の祖父の穏やかな表情が浮かんでいた。
80歳になっても海外旅行に飛び回っているような快活な祖父、が今年の夏に急に倒れてそのまま亡くなった。
ありがとうも大好きも何一つ伝えられないままだった。また会った時に伝えよう、そう思っていた。
でも、もう二度と会えなくなってしまった。

「いつか」なんて待っていても一生来ないのだ。
耳にたこが出来るくらい聞いた表現だけど、改めてこの言葉が身に染みた1年だった。
この手紙はもしかしたら先生には迷惑かもしれない、それでも私はこれを書かないままでいたら絶対後悔する。
もう「あの時どうして伝えなかったのだろう」という後悔はしたくないのだ。自己満足かもしれない、それでも書くしかないのだ。

思いを込めた感謝の手紙、どうか出してほしい

とにかく気持ちのままにペンを動かした。
ああでもないこうでもないと言いながら何回も何回も書き直した。
物語と、それを生み出してくれた先生への感謝と感動をどう言い表せばいいのか分からない。
それでも自分を奮い立たせて、何とか書き上げることが出来た。

いつか使おうと思っていた綺麗な青空の切手を貼った。

あとは出すだけだ。

善は急げなのも、思い立ったら吉日なのも分かっている。
でも、それでも怖い気持ちも分かってほしいと思う。

2021年の私へ、どうかこの手紙を出してもらえませんか。それくらいは任せてもいいですか。
新年のおめでたい雰囲気に背中を押してもらって、勇気を出してくれませんか。