早く大人になりたい!と思うことなど一度もなかった。甘やかされていたかったし、甘えていたかった、ずっと子供のままでいたかった。
大人になった今でもそれは同じで、やっぱり私は子どものままでいたいと思うし、過去に戻りたいと叶うはずもないのに願って病まない時だってある。

大人になりたいと思えずにいた理由があって、その中の一つが大人になる、とか、大人になれ、とか、そう言った言葉が大嫌いだったからだ。

「大人って何?」大人の判断基準が分からないまま、社会人になった

そもそも“大人”ってなに?“大人”になるって?
“大人”という文字について辞書を引いたり、ネットで検索してみてもどうも釈然としなかった。書いている内容は分からなくはないけれど、いつから大人になったのか。大人と子どもの明確な判断基準は何なのか。欲しい答えは辞書にはなかった。

体つきが成人のそれになったら?女の子は月経が始まったら?男の子だったら夢精?運賃や商業・公共施設での料金はいつから大人として分類された?辞書にもあるように成人式という祝いの場があるのだから成人式迎えてからが、大人になるということ?これが模範回答なのだろうか?

結局、自分の中で“大人”の判断基準がよく分からないまま、時の流れに逆らえるわけもなく、丸みを帯びていた輪郭は年相応に面長くなって、それなりに胸も膨らみ適年齢で初潮も思春期も迎えて青春と呼ばれる期間を過ごし成人式を終え、なんだか実感が湧かないまま大学を卒業して過ぎた年月と心がちくはぐしたまま社会人デビューを果たした。

そんな私が大人がいいなと思えるようになったのは今の恋人、そして新型コロナウイルスがもたらした災厄且つ不幸と呼ばれる時間だった。

刺激をくれる彼の存在。苦手な勉強を始めたら「楽しい」と感じた

今の恋人はとにかく勉強をする人だ。
私は専ら文系で、数式なんか見るだけで眠気が襲ってくるようなタイプだった。そんなだから、理数系、特に数学と化学に関しては目も当てられないほどの成績でテストでは数度一桁代を叩き出したことがある。

今の彼はそんな私とは住む世界、次元が違うとこにいる。
工学部の国立大に進んでいた彼とお付き合いしてから何かと刺激をもらい続けた。解いている問題が難しすぎて数式記号ですら何か理解できてない私だったが、ある時幼い頃意味も分からず遊びで使っていたマッハという言葉を理解し問題として解いていた彼を見て驚愕したのを今でも鮮明に覚えている。そうして、私も彼のように何か学び、知りたいと思えるようになった。

今まで逃げ続けていた、特に理数系の勉強をしてみようと思い理数の知識が必要とされる資格を取ることにした。仕事に役立てたい、キャリアアップに繋げたい、そんな気持ちを微塵も持たなかった。学びたい、やってみたい、高校のテストで一桁をとっていた私がどこまで理解出来るのか知りたい、そんな気持ちでいっぱいだった。

分からないことが分かることはこんなにも楽しいことなのかと、彼に勉強を教えてもらいながら感動を覚えた。分からないからしたくない。そんな気持ちが不思議と湧いてこなかった。
分からなくても分かるまで学びたい、子どもの頃思わなかった感情が沸々と音を立てて沸いてくるのが分かった。
分からないことが分かった時、嬉しくて涙を溢した。私は、分かることが出来たんだと。
投げ出してきた学ぶことの楽しさや学びへの好奇心を大人になって私は取り返すことが出来た。

休業が続く毎日。今までとは違う時間の使い方で「楽しみ」を見つけた

そして、もう一つが新型コロナウイルス。大切な人の命と時間を奪っていった憎むべき“ソレ”だけどソレは私に気付きの時間をもたらしてくれた。緊急事態宣言が発令され、スーパーや医療・交通機関以外の殆どが機能しなくなったあの時間でただただ時間を持て余すことになった人間だった。

仕事柄テレワークをしようにもすることがなく休業が続く毎日。余すことなく与えられた時間で私はどう過ごせばいいのか、家にいることしかできないのならとにかく家でできる楽しみを見つけようと思えた。

朝早くに起きて太陽を見よう、窓を開けて換気をしよう。昼は電気をつけずに陽の光だけで過ごそう。音楽はロックじゃなくてクラシックを。本を読もう、映画を観よう、レビューを読んで自分も感想を書こう。

散歩ならいいと報道された時には、帽子を被って勿論マスクもつけて家の近所を散策した。人懐っこい猫に出会えた、懐かない猫にも出会えた。路地には入ると知らないお店がたくさんあった。

見てはいたけど入ったことのないお寺に入った。家の中でも、家の周りでも、身近な場所なのに知らない世界がそこにはあった。
きっと私は生きているうちに、人がいるはずなのにいなくなってしまった日常を見ることはもうないだろう。昼間の大通りには絶えず走っていた車が姿を消したこと。仕事の帰り道、通りかかった百貨店の全てにシャッターが降りていたこと。静寂に包まれたあの日々を、世界を私は決して忘れない。

新しい価値観に出会えたのは、私が大人になったからだ

そんな風に思えるのも私が大人になったからだと思う、子どものままだったらきっとそんなふうに捉えなかった。新型コロナウイルスのせいには出来ても、おかげに、変換することは絶対に出来なかったと断言できる。

心は思春期真っ盛りの青春時代に戻りたがっているような素振りをチラつかせることもあるけれど、大学を卒業し働き出し今の彼と一緒にいるようになって、確実に精神的に成熟できたと胸を張って言える。子どもの頃には見えなかった色んな景色が見えてきた。
特に働いていると不自由だな、子どもに戻りたい、なんて感じることもある。

だけどそれ以上に自由なんだ。自由だと思うことが増えた。楽しいと思えることを誰に干渉されるわけでもなく出来て、学びたいと思える時に学びたいことが学べる、そもそも学びは学びたいと思う気持ちがないと学ばせても本人にはあまり意味のないものになりうるのかもしれない、なんて思った。

大人になる、とか、大人になれ、とかそこらへんの定義はやっぱりよくわからないままでいるけど、大人って思っていた以上に悪くない、そんな風に思えるようになって気が楽になった。子どものままでいたいと思い続けて生きていくにはあまりにも時間が長すぎる。