「女性の活躍」という言葉をよく聞くようになった。私が高校生あたりの頃からだから、ここ数年のことである。
女性が輝く社会として、よくあげられるのは働く女性像だ。男と同じように組織のトップに立ち、部下を率いて、子育ての両立を図る……これからの女性はこうあるべきである、と。
それに伴って、いろいろな組織で女性の登用を推進しようとしている。そして、女性がトップに立つごとに、メディアはこぞって「初の女性!」と報じる。テレビも、新聞も、ラジオも。
私は、非常に喜ばしい、と思うと同時に、今までなぜ女性がトップに立たなかったのだろうとの疑問も浮かぶ。今まで男性が外で働き、女性は内を守るというのが一般的だったからだろうか。
女性活躍を推進する社会への期待。一方で抱かざるを得ない社会への違和感
とにかく私や働きたい女性にとって、今の風潮は心強い。私は大学を卒業したら、就職して、社会の一員として働きたい。女だからと家庭に押し込められたくない。いつかは結婚して家族もほしい。キャリアと家庭の両立を図りたい。性別という枠に囚われず、私の「したい」を後押しする政策は願ったり叶ったりである。
しかし、同時に違和感もある。
輝く女性像として、フルタイムで働く女性ばかりがあげられていないか。古い言い方をすれば、今の世の中は「男顔負けに働く」彼女たちは善で、昔ながらの専業主婦は悪である。そういうふうに捉えてはいないか。そう思うことがある。
会社のように定時がなく終わりなく続く家事。専業主婦の誇りと滲み出た悔しさ
人口が減少する今、労働力不足を補う手段として見れば、専業主婦は非効率的であるとの見方もできるかもしれない。また、時代遅れなことだという人もいるだろう。
「専業主婦は働きもせず、家でダラダラしている。」
以前、実際にSNSでそう言っている人がいた。たった140文字の呟きは驚くほど拡散され、何万もの「いいね」がついていた。気になってリプライを見てみれば、その呟きに同調している人が沢山いた。もちろん反論している人もいたが、比較にならない。
しかし、その「専業主婦=非効率的」との見方をし、専業主婦を目の敵にしたような呟きに一石を投じるように、私の知り合いが独りつぶやいた。
「会社には定時がある。けれど、家事には終わりがないんだよ。」
その言葉には、専業主婦として、長年活躍していた彼女の、誇りと専業主婦だからと侮られる悔しさが滲み出ていた。
私たちの選択に「非効率」なんてない。すべての女性が活躍できる多様性のある社会へ
何もしていなくても、埃は毎日出る。人間は生きている限り、何かを食べていなくてはならない。
年中無休で、家族が最大限のパフォーマンスを発揮できるのを支えてくれるのが専業主婦なのだ。
彼女たちがいるお陰で家は綺麗に保たれ、家に帰ってすぐに暖かいご飯にありつける。それを見落としてはいないか。
彼女たちは決して非効率的なお荷物ではない。彼女たちは彼女たちの輝き方で輝いている。外で働く女性たちと同じように。
それを知らず、外で働きに行くのが活躍であるとの見方に、私は違和感を覚える。同時に多様性も強調される今、女性の活躍に関してもっと、様々な形が検討されればいいと思う。