私はこれまで、かなり多くの人から「変わってるね」と言われてきた。私は言葉選びや話し方が特徴的だったり(甲高い声で早口、いわゆるオタクっぽい話し方をする)、顔つきが独特だったり(よく顔が死んでいると言われる)、興味の対象が狭いため流行に疎く、一般的にはあまり知られていないものを好んだりする。
また、私は忘れ物やうっかりミスが多く、よく「抜けている」と言われる。順序立てて行動することができないので、「要領が悪い」と言われることも多い。動きが遅く、何をするにも時間がかかる。それに口下手で、言いたいことを上手く伝えられないことも多々あり、社交的でもない。昔からとにかくドンくさい、とろい子だった。
こいつならいいか。必ず「いじられキャラ」になってしまう私
そんな私は、集団に属すと必ず「いじられキャラ」になってしまう。
いじられキャラは結構大変で、周りに節度があるうちはいいものの、度を超えたいじり方をしてくる人もやはりいるものだ。
「こいつならいいか」と、普通の子なら言われないであろう無神経な言葉を投げかけられることもある。
その上、いじられキャラは「こいつと付き合っていると思われると恥ずかしい」と思われてしまうので、異性として見てもらえず、同年代の男性にまったくモテない。
いじられキャラはとても損な役回りなのだ。
私はこれまで、自分がいじられキャラであることに散々悩んできた。どうすればいじられキャラを脱することができるか考えたこともあったが、いじられキャラ的な特性は変えたくても変えられない。
それなら、いじられキャラでありつつも、自分にとって心地よい居場所を確保する方法はないだろうか。私は、いじられキャラであることをうまく利用する方法を模索した。
「不器用だけど根はいい子」。愛されるいじられキャラを目指した私
私が辿り着いた方法は2つ。
まずは、愛される努力をすることだ。
周りから愛されていれば、心無いことを言う人がいてもかばってもらえるようになる。それに、「あんないい子にひどいことを言うなんて!」と思わせることができるので、言った相手をちゃんと悪者にできる。
愛されるためには、「この子、根はいい子なんだな」と思ってもらわなければならない。そのためにはまず、言葉選びを慎重にして、他人を下げる発言はしないことだ。
また、いじられキャラを受け入れる余裕がある環境を選ぶことも大切である。例えば、時間に追われて常に殺気立っているような職場にはまず馴染めないだろう。
愛されるいじられキャラになれれば、失敗を許してもらいやすいというメリットもある。私自身、新卒で就職した会社では失敗続きで、まったく仕事ができなかった。それでも幸いなことに、優しい人が多い職場だったので、どうにか受け入れてもらえていた。
しかし、「不器用だけど根はいい子」というだけで会社にい続けることに限界を感じた。まだ若いから、と許されていた部分もあるだろうし、年数を重ねればそうはいかなくなるだろう。私の仕事のパフォーマンスは「不器用だけどいい子」として会社にいられるレベルすら下回っていると思った。
結局、私は3年で会社を退職した。
いじられキャラ的な特性は、世の中の大半の仕事にはミスマッチである。私は要領が悪く作業スピードが遅い上、うっかりミスも多い。頭の中でうまく会話を組み立てることができず、口下手である。
これだけでも、ほとんどの仕事に向いていないことが目に見えるだろう。「不器用だけど根はいい子」というだけでどうにかなる仕事は、世の中にそう多くはない。
翻訳の仕事を目指して勉強中の私。自分のできる仕事を極める努力を
1番大切なのは、自分ができる仕事を見つけて、その道を極めることだ。
その仕事で高く評価されるようになれば、いじられても本気で馬鹿にされることはまずなくなる。むしろ、いじられキャラ的な特性がプラスに評価される可能性もある。
某恋愛リアリティー番組で有名になった画家の男性も少しいじられキャラらしい感じがあったが、優しさと豊かな感性で魅了し、最後の2人になるまで選ばれ続けた。
彼の場合、画家として成功しているからこそ、いじられキャラ的な人柄の柔らかさがプラスに評価されたのだろう。
しかし、もし彼が売れない画家だったとしたら?彼への評価はまったく違うものになっていたはずだ。
いじられキャラは、生まれながらに背負わされた十字架のようなものだ。私がドジでのろまでヘンな奴であることは一生変わらないだろう。
私は現在、翻訳の仕事を目指して勉強中の無職である。ドジでのろまでヘンな奴が健全な精神を保ちながら生きていくためには、ひたすら努力するしかないのだ。