雨の日は嫌いだ。
雨だと、靴も靴下も濡れるし、気分も下がる。
傘、替えの靴下、タオル,、化粧品など、こまごました荷物も増える。
テーマパークとか、ピクニックとか、旅行を予定していた時は最悪だ。
キャンセルor微妙な思い出になってしまうかの二択だと思う。

初めて嫌がらせに対して仕返しをした日、私は雨を嫌いになった

私が雨の日が嫌いなのは、初めて嫌がらせの仕返しをした日だから。
あれは小学校1年生の集団登校だった。
幼稚園から家族ぐるみで仲良しで、ずっと一緒に遊んでいたあの子と同じ班だった。
身長が低かった私は前、あの子は私のすぐ後ろ。1列にきちんと整列するのがきまりだったから、前後とは言えどもほぼしゃべっていなかった。

ある日、信号で止まると後ろからランドセルを押された。
びっくりした。
気のせいかと思って無視したけれど。その日を境に、止まる度に後ろから押されるようになった。
私はかなり身長が低かったから、彼女は確実に信号は見えていたはず。前が止まっていることは認識していたはず。仲良かったあの子が敵になった瞬間だった。

それ以来毎日のように押されたものの、何も反撃できなかった。後ろを振り返って、「何?」「どうして押すの?」と言えなかった。

そして、ある雨の日。またいつものように押してきた。傘をさしているからか、いつもより強く押してきた。さすがにキレてしまった。
ついに、後ろを振り返って「何で押すの?」と聞けた。

回答は、「早く行って」だった。
それから「前止まってるよ」「早く行って」のやり取りを繰り返し、またキレてしまった。
前に向き直り、持っていた傘で彼女を押し返した。持っていた柄を肩越しに後ろにプッシュした。
先端が当たったらマズイと思える冷静さは何とか持ち合わせていたから、避けるように微調整した。
おそらく傘のひらひらの部分が彼女の顔や上半身に当たったはずだ。
私的には、やめてよ、の意思表示のつもりで反射的にやってしまったが、かなり強めにプッシュしてしまっていた。

その日以来、彼女から押されることはなくなった。
何かされても、仕返しをすれば向こうからの嫌がらせはなくなる。
何かされれば、同じことをやり返せばいい、ということを学んだ日だった。
身長が低くて運動神経が悪い私も強い。大丈夫。
何かされてもやり返そう。そうすれば生きていける。

嫌なことをされたらやり返す、は「良いこと」にも代用されるように

それからは、何か嫌なことをされたら同じことをやり返した。
スイミングのレッスンで、私のことを平泳ぎで抜かしたらバタフライで抜き返す。満員電車で、私の足を踏んだらバッグで押す。私の悪口を言ったら、私も他の子に言う。

情けない。本当に情けない。
さらに情けないのは、私がやってきた仕返しを忘れていること。
さらに情けないのは、それが常態化してしまっていること、そして“仕返し”を全ての範囲に広げるようになってしまったことだ。

嫌なことをされたらやり返す、に加えて、“良いことをしたら良いことを返してくれるだろう”、と考えるようになってしまった。
だから、私に良いことをしてくれそうな人としか付き合えなくなってしまった。
私にとって得になりそうな友達を選ぶようになってしまったのだ。つまり、他人に期待する人間になってしまったのだ。

この人は、親切を返してくれそうだ。
この人は、プレゼントをあげたら返してくれそうだ。
この人は、話を聞いてくれそうだ。
この人は、私のことを認めてくれそうだ。
この人からは、有益な情報を得られそうだ。
この人とつながっていたら、人脈も広がっていきそうだ。
自然と私の親切の方向も偏っていき、友達も減っていった。というか、私からカットしてしまった。
気が付いたら、スケジュールはバイトと彼氏と一部の友達だけになってしまった。
バイトをしたら対価でお金をもらえるし。彼氏は、私のことを可愛がってくれるし。

さらにそこから派生して、人生における余白を許せなくなってしまった。
自分の得になるかならないかで事柄を見るようになってしまった。
この活動は経験値にならなさそうとか、この時間があるんだったら家でお菓子食べたいとか、バイトしてお金に換えたいとか、自分の身にならないことを全て排除するようになってしまった。
これまで断ってきたお誘いは数知れない。どれだけの思い出と友だちを失ってきたんだろう。

突如できた余白の時間。上手くつかえなくて、結局余白じゃなくなる

最近になってようやく、余白の時間の大切さを学んだ。
というのも、突然できた余白時間に何をしたらいいかわからなくなってしまったのだ。
余白時間にやりたいto doリストはいっぱいあった。ジグソーパズル、ヨガ、ランニング、ゲーム、読書、雑誌、お菓子作り、カフェに行く、イタリアンを食べに行く、疎遠になったあの子に連絡する。
いっぱいあるのに、いざ余白時間に放り込まれると何から手を付けていいかわからない。
せっかくの余白時間、リラックスなんてしていないで有意義に使いたい、と思ってリストにあげたことをせず結局余白が余白じゃなくなってしまうのだ。

就活も終わって、最終レポートも終わって、バイトもあんまりない学生最後の春休みは、結局SNSとテレビと有意義になりそうな活動に使って卒業式を迎えてしまった。
本当にもったいないことをした。人生における大切な余白時間を無駄にしてしまった。
社会人になる直前に悪あがきしたところでもう遅い。

あの雨の日のワンプッシュで私は変わってしまった。
仕返しをすれば状況は好転する。
悪いことだけじゃなくて、良いことも同じだ。
嫌なことをされたら、同等なことで仕返しをしよう。
良いことが変えてきそうなことだけしよう。
自分の得になるかならないかを見極めて生きていこう。
自分にとって良いことに注力すべきだ。
それを教えてくれたのは、雨の日ならではの仕返しだ。
だから、雨の日は、嫌いだ。