19歳の私は、今にも倒れそうだった。死にもの狂いで働き、走り、勉強し、また働く日々だった。

私は海外の生活を夢見ていた。学校ではみな私服。ガムを噛みながら授業を受け、校則や人の価値観なんかに囚われない。そんな渇望する世界を、この目で見たくて見たくて行きたかったのだ。

自分が自分でいられる場所を探し出すため、いつか海外へ行くと決めた

私の高校の校則は、人権侵害と思うほど厳しかった。私は元から髪が茶色く、先生という生き物が大嫌いで従順じゃなかった。「校則違反だ」と言われ、長く綺麗だった髪を切らされた。学校を辞めるか、髪を切るかの選択だった。後にも先にも、私がボブまでの長さにしたのはその時だけだ。私は決心した。いつか自分のお金で、絶対に海外に行くと。
世界中の何処かに、自分が自分でいられる場所を探し出そうと。

大学生になり、私は早速バイトを3つ掛け持ちした。大学の講義以外は、バイトで埋め尽くした。みんなサークルという大学生活の醍醐味を存分に楽しんでいる中、私の唯一のしあわせは、毎月25日に訪れる。通帳記入の瞬間だった。20歳の時に留学したいという目標のもと、時が経つほどに私のバイトの掛け持ちの数はどんどん増えていった。文字通り、一瞬も無駄にしたくなかった。

大学の1限目は、9時からだった。朝から髪を綺麗に巻き、イケメンのサークルの先輩と軽やかに歩く華やかな学生や、前日の宅飲みで二日酔いのサークルのお揃いパーカーを着た集団を割くように、綺麗な構内までカーチェイスのようにチャリを爆走させた後、8:59に教室に駆け込み、出席をとり、大人数の講義の時は、ある程度講義を受けたらトイレに行くふりをして教室を抜け出す。そして、近くの空き教室か、綺麗なトイレを見つけたらそこで20分ほど仮眠を取って戻る。

お昼に学食は贅沢だった。自分の至福のために使うお金は、1日100円までと決めていた。大学の生協で、ジャン負けでアイスを買いに来た学生達を横目に、100円お菓子コーナーに行っては、その日の大切な大切な私の100円を、どれに使うか悩み倒した。

大学の講義も受け、何個もバイトを掛け持ちし、目標430万円貯めた

大学が終わったら、また横並びでタラタラと歩く学生の間を、パチンコ玉の様にチグハグに爆走、通過後また次の学生まで爆走を繰り返し、バイト先に向かった。派遣会社にも登録し、単発のバイトも貰いながら、お昼からのバイトの後は居酒屋かバーで4時まで働き、今度は家まで人がいない夜道をチャリで30分独走。帰宅して両親を起こすまいと、静かにその日の唯一の食事であるお茶漬けを体に染み渡らせた。

そんな生活をしていても、当時の最低時給は今よりはるかに低く、且つ当時のポンドは、1ポンド=180円くらいだったから、イギリスの1ポンドショップのものを買っても、それは実質200円弱だった。

この生活を繰り返す中で、大学2年生になった時には、留学先の手続きと英会話も始めたため3時間睡眠の日々が続いた。私は2ヶ月で、一気に10kg以上痩せた。日に日に友達からの何の誘いにも行かなくなり、みるみる痩せていく私に、違法薬物を始めたのではという噂まで大学で流れ始めたのを、心配して見かねた友達が教えてくれた。

それでも寝る間も惜しんで働き続けた結果、10代最後の2年間の血と、汗と、涙と、涙の結晶である私の貯金はついに、借りた奨学金100万円と合わせて、目標430万円に到達した。そして、手を震わせながら、ようやく集まったそれを惜しむ間もなくそのまま、留学先の学校と家賃のために振り込みを済ませた。振り込みの期限を延ばしてもらっていたので、全ての手続きが終わって、私はやっと緊張の糸が解けた。

汗まみれになり、頑張る私の姿を心配して見守ってくれた「友達」

まず最初にしたのは、親への報告だった。自分で決めたことだからどうしても、何が何でも自分のお金で行きたくて、親には出発1ヶ月前のこの時まで秘密にしていた。

当然、唖然としていた。毎晩毎晩、遊びに夜遅くまで出掛けていると思って私を叱り、心配し、まさかこんな大金を用意しているなんて思ってもみなかっただろうし、本来なら未成年のため、親のサインがいる留学先の書類のサインも私がこっそり済ませ、本当にまるッと丸ごと知らぬ間に済ませていたからだ。

その次に、ずっとそばで心配してくれていた友達に報告した。みんなから温かい言葉をもらう中、特にずっとそばで支えてくれてた“あの子”が、この手紙をくれた。「ずっと1人で頑張って、どんどん痩せこけていく姿を見て、ずっとずーっと心配だった。1人で抱え込むから、ほんとは何か手伝いたかったけど、〇〇の事だから、きっと『だいじょうぶ』って言って、手伝わせてくれなかったと思う。影で見守ることしかできなくてごめんね。あんなに頑張って来たんだから、留学中きっと大変なこと、辛いことあるだろうけど大丈夫!ずっとずーっと応援してるから!!」これを読んだとき、熱々の涙がゆっくり滲み出てきた。

この言葉をくれて、救われたというか、なんだか報われた。あんなに楽しく、眩しく、キラキラしているキャンパスライフに真正面から逆行し、汗とまめと靴ずれにまみれた10代最後の私の姿を、ちゃんと見ててくれて、心配しながらも私のためにそっと見守ってくれて、何より認めてくれて。

あれから10年近く経った。社会人になり、味わったことのない辛さが畳み掛けるようにのしかかってくる事もあるが、私にはあの時の経験があるから、まだ、まだいけるって今も何とか思えている。