その子はいつも言ってくれる。「私のことを尊敬している」と。「私の将来が楽しみだ」と。
その子はいつも私の背中を押してくれる。そして、「私のような友達は他にいないのだ」と誇らしげに語ってくれる。その子が私にくれる、等身大の期待は心地が良い。その期待は、その子の手と一緒に私の背中を押してくれる。
10年前、私たちは上海の日本人学校で出会い、嘘のように話が合った
「あなたは私には成し得ない、手の届かないことができるのだ」と、その子にはどこか、私を下から見上げているようなところがある。けれど、私はその子にどうしても伝えなければならないことがある。それは、私がその子と出会った10年前から、ずっと分かってほしいと思い続けていることだ。
10年前、私たちは中国の上海日本人学校で出会った。お互い中学生で、父親の転勤にくっついてきて、耳慣れない中国語を新鮮に感じたり、不安に感じたりしていた。私たちは偶然下の名前が同じで(必然だと私たちは今でも言い合うけれど)、嘘のように話が合った。世界を測る物差しを共有できると感じられた。
出会って1年も経つ頃には、見知らぬ土地に思えた上海という街に、電車を使って2人だけで繰り出すようになった。路上の売人と、その場しのぎの中国語で値段の交渉を行うまでになった。こうして2人で、上海日本人学校を卒業していくのだと、私は当たり前のように思っていた。
その子の強い決断に魅せられ、私も「なりたい自分」になろうと決めた
中学2年生の終わり頃、その子の家で遊んだ帰り際。「私、来年から現地校に行くことにした」そう告げられた。現地校? 授業も先生も友人も、全て中国語で毎日生活する現地校? 驚き、戸惑い、不安、悲しみ、名をつける余裕もない感情の嵐に飛ばされそうになりながら、なんとか自分の家に帰ったことを今でも覚えている。
けれど、混乱と不安が引いていった後、波に洗われて残っていたのは、濁りのないその子への憧れだった。自由にならない外国語の生活に飛び込もうと思ったこと。このまま日本人学校にいることもできるのに、敢えて厳しい道を選ぼうと決めたこと。知り合いのいない場所で、自分の力を試そうと挑んでいくこと。その潔さ、勇敢さ、強かさ。全てに憧れた。そして、私もこんな風になりたいと思った。
その子の決断に魅せられて、私は初めて“なりたい自分”になることを夢物語で終わらせる必要のないことを知った。その後、私は中学卒業と同時にカナダへ1年留学し、帰国後も全て英語で授業を受けることのできる高校へ進学した。
高校で見つけた新たな夢を叶えるため、大学でもう一度留学をした。自分の生きたい人生を創るためにする努力や勉強は、いつでも想像以上の苦楽を私に教えてくれた。
中学生の時からずっと「あの子」の背中を追って、憧れ続けている
私は、中学生の時からずっと、あの子の背中を追っている。あの子に憧れ続けている。この10年間、互いの進学や留学、帰国で物理的な距離は何度も伸び縮みした。それでも、隙あらば会って遊ぼうとする関係は、今まで存在し続けてきているし、これからもずっと、できる限りの時間を共有し続けていたいと私は思っている。
そして、あの子に会うたびに私は、伝えよう、分かってもらおうとするだろう。中学生のあのときから、ずっとあなたに憧れ続けているということ。ただのおしゃべり相手に留まらず、あなたからたくさんの導きを受けていること。
他愛のない話の切れ目に、伝えようと今まで様々な言い方を割と真剣に試してきたが、その度に「またそんなこと言ってー。決めたらやり通すあなたの方がずっとすごいよ。我が家の期待の星だよ」などと、かわされてしまうのだ。