ワタシがいちばん破りたいルール。それは、“仕事”についてのルール。

今でこそリモートワークがあり、フレックスタイム制があり、社会も自由度が高くなってきている。しかし、ワタシにはそんなものは関係ない。仕事が続かないのだ。続いた仕事は長くて3年。

新入社員で入った会社を3年で辞め、その後の仕事も続かなかった

新入社員の頃は、「まずは3日、そして3ヶ月、気付けば3年と少しずつ楽になって行くよ!」なんて言われたりして希望を持っていたけど、そんなのは嘘で。3年経った頃には、その仕事に飽きていた。そして、飽きるだけではなく、“自分がその仕事をしている意味”がわからなくなった。

結果3年で辞めて、その後は適当に選んだアルバイトや、自分が好きかもしれない! というふんわりした理由で選んだ仕事をしたり、美容が好きだから美容系に行こう! と思い立って美容室の受付をしたり。しかしどれも続かず、短くて1ヶ月、長くても半年だった。

今の社会では、“長く続けるが勝ち”のような風習があって、長く続けるのは当たり前、長く勤めてると上に行ける、長く続けている人は信用できるなど、理由は様々だが、長く続けることに重きを置きすぎていて、正直ワタシには苦しい。もちろん、長く続けることで見えてくる景色もあるため、“長く勤める=正義”は、長く勤めていた人が上に行った時にそう言えるのであろう。

「長く勤める=正義」という社会のルールに縛られるのはうんざりだ!

今やっている仕事も決して楽しくはなく、新しく覚えることばかりで毎日脳みそがパンクしそう。「全部覚えるのに3年かかる」と言われた。そんなこと先に言われたら、3年間毎日研修をしなければならないという、束縛の強い彼氏みたいに縛られる感覚で仕事をしなければならない。

一度そう思ってしまうと、ずっとその思考は抜けず、これが3年か……しんど。となってワタシの場合は、辞める理由に繋がる。ただ、今はやりたい仕事や楽しそうと思う仕事も見つからず、どうフェードアウトしようかばっかり考えている。

こんな思考も日本の社会のルール上だと「続けろよ」「仕事を甘く見てる」「自分を甘やかしすぎ」となるのだろう。母親からもずっとそう言われてきたが、そもそも、そんな“社会のルール”に縛られるのすら、もう、うんざりなんだ。もっと自由に生きたい、自由にいろんな仕事を体験したい、自分に合う仕事を発見したいと思う理由で、仕事を探すのもアリなのではないかと考えている。

この探し方が普通になれ! とは言わないけれど、そんな探し方は悪い! と決めつける人が、会社が少しでも減るように、仕事の選び方も多様化できるように、たくさんの仕事を経験して、自分の糧にしたい。そう思うことはおかしいのだろうか?

長く勤めることが正義なら、長く勤められる明確な答えを教えてほしい

長く勤める意味とは? 勤める期間が短くても根本から合わないと直感で感じたら? そもそも楽しさを感じられなかったら? 言い出したらキリがない。

ワタシは、仕事を何年も続けている人に質問ができるなら、「なぜこの仕事を選びましたか?」「なぜ続けられるのですか?」「続けることの意味はありますか?」「一生この仕事をしたいと思えてますか?」と質問したい。ワタシの脳内にはその答えがない。答えがあったら、今頃何かしらの仕事を続けていると思う。

“長く勤める=正義”ならこの質問の明確な答え、ワタシを納得させる答えがほしい。おもしろくもない仕事をなあなあに続けている今のワタシに、終止符を打ちたい。

この文章を書いていて新しく自分の気持ちに気づいた。ワタシも好きな仕事を長く続けたいんだ。