大学1年目の春、初めて会った時のあの子を、わたしは正直あまり好きにはなれなかった。

大学の新入生オリエンテーション。ありがちな期待と、ほんのわずかな気怠さを抱えていたわたしの隣の席に、あの子が初めて座った瞬間を今でも覚えている。きっかけは、わたしとあの子の学籍番号が連続していたから。ただそれだけだった。

会話がテンポ良く続かないあの子とは、きっと仲良くなれないと悟った

何となく気まずくて、「初めまして」と先に言ったのは、確かわたしの方。あの子は小さな声で不安そうに自分の名前を言ったきり、口をつぐんだ。その後何度か話しかけても、ニコニコしたままのあの子からは返事があまり返ってこなかった。

わたしの話し方を分かりやすく例えると、卓球のラリーである。言葉と呼吸の続く限りペラペラと話すので、相手も同じくらいのスピードで返してくれると会話がよく弾む。休む間もないスマッシュの応戦。のんびりとした話し方の相手だと発言量のバランスが崩れ、一方的にまくしたてるような雰囲気になってしまう。なおかつ、わたしは直感で人を判断してしまうタイプだったので、会話がテンポ良く続かないあの子とはきっと仲良くなれないと悟った。

でも、いつからだろう。お昼ご飯や休み時間、帰り道の隣に、いつしかあの子がいるようになった。その頃の私達には、もう学籍番号なんて関係なかった。話をしていくうち、遠い地元からたった一人で引っ越してきたこと、家族にたくさん愛されて育ってきたこと、実は同じ趣味を持っていたこと、ふわふわした雰囲気や話し方に隠れて確固たる優しさと芯の強さを持っていることを知った。

オリエンテーションの時に会話が弾まなかった理由も、後から教えてくれた。ゆったり話す環境で育ったあの子には、早口で流れるように喋るわたしの言葉が聞き取れなかったらしい。そんな会話を繰り返し、ふと気付いた時、もうわたしはあの子が大好きだった。

大学に行けなくなっても、あの子だけは私が戻るのを待っていてくれた

1年目の秋、わたしは大学に行けなくなった。きっかけは些細なことだったけど、転がり落ちるように心と体のバランスを崩した。それでもあの子だけは、ずっとずっと戻ってくるのを待っていてくれた。理由もあまり言えたものではなく、持ち前のスピード感のある話し方も失った。様子が明らかに変わったわたしを見て、そっと遠ざかっていく人達もいた。そんな中で、わたしへの接し方を変えないあの子の存在が心からの救いだった。

2年目の春、わたしとあの子はもう同級生ではなくなっていた。わたしが進級できなかったから。みんなと一緒に受けられる授業がなくなって、一緒に進むはずだった友達とは離れてしまって、本当に悔しくて寂しくて辛かった。それでもあの子は何も変わらず、一歩遅れたわたしの側にいてくれた。

3年目の秋、あの子は時々スーツを着て大学に来るようになった。就職活動が始まりつつあったからだった。もう埋まらない差と追いつけない事実を改めて実感しつつ、それでもわたしは夢に向かって頑張るあの子が大好きだった。

4年目の春からは、全く会えなくなった。大学がリモートになって、あの子は遠い地元に帰省したまま。時々連絡は取っていたけれど、声を聞いたり顔を見たりすることは、半年以上できなかった。対面授業が再開し、4年目の秋に久々に会ったあの子は、無事に就職先を決めていて晴れやかな顔をしていた。

実はよく似ている「わたしたち」。心から尊敬できて、大好きなあの子

わたしは5年目の春を迎え、あの子は大学を卒業して、地元に帰っていった。最後の1年は全然会えなかったけど、あの子と過ごした時間やふたりで交わしたくだらない会話、一緒に泣いた夜の蒸し暑さや、半分こして食べたごはんの味をわたしはきっと忘れない。

優しさと強さを持っていて、周りからは完璧に見られがちだけど、わたしには脆さや弱さもちょっぴり見せてくれた。正反対だと思っていたのに実はよく似ていて、でもやっぱりわたしがあの子に追いつくことは絶対に出来なくて。心から尊敬できた。大好きだった。こんなに仲良くなると思ってなかったのに。

5年目の春、あの子を見送ったわたしはひとりでまた歩き出す。もっと一緒に見たい景色や行きたいお店がたくさんあったし、まだまだ話したいこともたくさんあった。もうあの子がいない校舎、あの子と一緒に乗れない電車が、今はまだ寂しくてたまらない。

別れ際に泣きすぎて、何も伝えられなかったわたしに「さよならじゃないよ、またいつでも会えるよ」と言ってくれた優しい笑い方と話し方は、初めて言葉を交わした4年前から何も変わっていなかった。“あの子”から、“親友”になってくれた君が、だいすきだよ。