なんでもかんでも、自分が一番じゃないと嫌で、自分が一番大変でいたかったわたし。そんなわたしを変えたのは、あなただった。

「杏子だけが大変なわけじゃないよ」。彼女が初めて見せた激しい口調

わたしたちが高校2年生の頃のこと、いつものようにわたしはどれだけ自分は勉強が大変で、どれだけみんなと違う努力が必要かをひけらかすように話していた。今思えば、なんて恥ずかしいやつだったか。そうしてないと、自分を保てなかったのかね。

「なんでわたしばっかりこんなに頑張ってるのに、みんなはついてきてくれないの!?」
「わたしだけがこんなに大変なのはつらい」
ひとりよがりな発言をくどくどと垂れ流していた。

彼女は周りとの協調性を大事にする、心の優しい子だった。わたしが何を言ったって「もう、言葉が強いんだからあ」と受け流せる、しなやかな強さが魅力的な女の子だった。そんな子から、
「ねえ、杏子だけが大変なわけじゃないよ」

初めて見せる彼女の激しい口調と、真剣な表情に、わたしはなんてことをしてしまったんだという焦りと、なぜ彼女はこんなに怒っているんだろうという困惑で返す言葉を失った。
いくら考えても、すぐに答えはでてこなかった。彼女を怒らせたことへの罪悪感もあったが、なにより、プライドの高かったわたしは理解できないことで怒られ、いじっぱりになっていた。自分からは絶対声かけない、そんなことさえ思っていた。

言われた言葉を反芻しながら、彼女のことを考えた

それからしばらく、わたしは勝手に気まずい想いだった。彼女はあっけらかんとして話しかけてきてくれていたが、わたしはずっと「あなただけが大変なわけじゃない」という言葉を引きずりながら人と接するようになっていた。
その言葉を反芻しながら、彼女のことを考えた。

彼女は、
高学歴のお父さんとお兄さんがいる末っ子で、
おばあちゃんの介護を手伝いながら、
働くお母さんの家事も手伝いながら、
当時の彼女では届かないと言われるような偏差値の大学に、
寝る間も惜しんで本気で挑んでいた。

そんな子に。そんな強くて努力家で優しい子に。わたしはなんてこと言わせてんだよ。
そんな子の前で、わたしはなんてことほざいてんだよ。

後から考えれば考えるほど、自分自身の小ささと卑屈な根性に嫌気がさした。
どれだけ後悔しても、すでに言葉にして相手にぶつけてきた発言を取り返すことはできない。そんな恥ずかしい発言でみすぼらしい性根を大いにさらして生きてきた自分自身が、本当に嫌で嫌で仕方がなくなった。

「わたしだけじゃない」。自分に言い聞かせ胸にしまっていた気持ち

そこからわたしは変わった。
変わったと言っても、急に変われたわけではない。腐りきった根性をたたきなおすには、時間と経験が必要だった。何度も何度も石柱のごとく屹立する我がプライドを折ってはこなごなに崩し、人の痛みや裏の努力を理解できるようになるまで多くの時間と涙を要した。

「杏子、雰囲気が柔らかくなったね。昔と違って考え方が柔らかくなった」
大学卒業後、社会人2年目の春。彼女からの一言で、わたしの心の重しが砕けた。
ああ、ちゃんと変われたんだ。ちゃんと成長してる、優しい人になってきている。
ほっと胸を撫で下ろした瞬間、わたしは彼女の前で号泣していた。この瞬間まで、ついぞ一度もこのことを、他人に話したことはなかった。
ずっと胸にしまいこんで、「わたしだけじゃない」と言い聞かせて生きてきた。

「わたし高校のときにね、大変なのは杏子だけじゃない、って言われてさ、そのおかげで変われたんだ、ありがとう」
そういうと、彼女は恥ずかしがりながら、
「ごめんそんなえらそうなこと言ったの?わたし。ほんとごめん、杏子あの頃大変だったと思うよ。それはわたしが心に余裕がなくてつい言っちゃったんだと思う、ごめんね」

言いにくいことも言ってくれる、優しく強い友達がいるわたしは幸せ者

ああ、こんな時まで優しいんだこの子は。余裕がない人にそんなこと言ってたわたしがあほったれなんだって。まったくわたしの友達はみんないい子なんだよ、本当に。最後までかっこつけられたらこっちはどんな顔すりゃいいのよ。

そうしてようやく、わたしは胸を張って彼女の前に立つことができるようになった。

この話を他人にすると、そんなこと言ってくれる友達がいるって幸せだね、と言われる。
そう、わたしには言いにくいことだって言ってくれる、そんな優しくて強い友達がいる。
幸せ者だ、つくづくそう思う。きっと真の友達はこうして影響しあって、ともに生き続けることができる相手のことなのだろう。

わたしと友達でいてくれてありがとう。大切なことに気づかせてくれてありがとう。あなたのおかげで変われました。本当にありがとう。