「大きくなったら何になりたいですか?」
 生きていれば必ず聞かれるであろう将来についての質問を、最後にされたのはいつだろう。同じ質問をされて即答出来る人は、今どれだけいるのだろう。

幾つもの夢を語る幼稚園児たち。私の夢の分岐点はいつだっただろう

 先日、幼稚園を卒園する子どもたちが将来の夢を語る映像を見る機会があった。皆カメラに向かってインタビュー形式で答えるので、緊張でモジモジしている子も居たが、その中でもある女の子の答えが印象深かった。
「ケーキ屋さんとー、パン屋さんと、お花屋さんになりたいです!」
 当たり前のように幾つもの夢を語る子どもたちを見て、微笑ましくもあり、羨ましくもあった。私は危うく失いかけた夢を、かろうじてまだ掌に包んでいる。

 私の夢は、いつの間に儚くなってしまったのだろう。夢の分岐点を思い返してみると、一番に思い付くのは大学生時代だ。将来の夢を絞る最終地点だと思っていたので、私の夢はより保守的に、現実的に萎んでいった。
 就職活動をしていた時には、最早夢なんて忘れて確実な足場を作ることだけを考えていたと思う。『社会に出る義務』という人生の一本道しか見えていなかったのだ。
 独りで生きていれば、今もずっと一本道を歩んでいたに違いない。雑草だらけの道なき道を舗装してくれた彼女が居たから、私はこうして文章を書くことを辞めずに続けられている。

早く内定をもらっていた彼女が、就職先と関係ないスクールに通う理由

 彼女とは同じ学部の同級生で、すぐに誰とでも仲良くできる人気者だった。私の周りでは珍しい程に好奇心旺盛で、活動的という言葉がピッタリな子だ。
 1人で外国にも行くし、外国に行くからにはと世界遺産検定も取っていた。彼女の話はいつも私の世界を広げてくれるような新鮮なエピソードばかりで、酒を交わしながら彼女の話を聞くのが大好きだった。
 皆卒業に向けて歩み始めた大学4年生のとき、彼女は突然新しいスクールに通い始めた。
 既にいち早く内定を貰っていた彼女にとって、別段就職先に関係の無いスクールだったので、私は大層驚いたのを覚えている。前から興味があったと教えてくれて、それから彼女は「ゆくゆくは、そういう仕事もしたいから」と言った。
 その瞬間、私の人生に『ゆくゆく』という言葉がインプットされたのである。彼女は、私が目の前を見つめている間に、既に一歩前を見据えていたのだ。

心のどこかで、『将来の夢』は社会に出れば最終回だと思っていた

 私は心のどこかで、『将来の夢』は社会に出れば最終回だと思っていた。仕事に就いて、貯金をしながら生き延びてゆく為の人生が始まるのだと。
 そんな時人生に彩りを与え続ける彼女に影響されて、私は今やりたいことを一生懸命考えた。書くことがずっと好きだった。大学の授業でも書く機会は多かったけれど、他の分野でも試してみたいと思った。そして『演劇の脚本を書いてみたい』という答えに行き着いたのだった。
 大学の部活動は映画部だったので、脚本を書く経験はあった。
 しかし私にとっての冒険は、イチから新しいコミュニティを探し、未知なる分野を始めるという点だった。アルバイトの面接でも緊張する私が自ら足を運んで経験を積みたいという気持ちが芽生えるなんて、彼女に触発された以外の何でも無い。以前なら行動に移すことは無かっただろう。所属した演劇サークル自体は就職先の都合で1年程で退団することになったが、何をするにも遅すぎることは無いと気付くきっかけになった。大人になっても、将来の夢は追い続けて良いのだ。

人生に「消費」という言葉は無く、生きる力は風となってそよいでいる

 彼女は今も変わらず自分のやりたいことが分かっていて、その為に立ち止まることなく生きている。きっと彼女の人生に「消費」という言葉は無い。彼女の生きる力は風となって、いつも私の周りをそよいでいる。
 私はというと、現在は新入社員として入った会社で働き続けていて、これからどうなるかも分からない。
 しかし、ただ消費する為に働いているつもりはない。SNSのプロフィールには『将来の夢は、執筆で生きていくことです』と、胸を張って記している。
 保守的でも現実的でも無い夢だ。それでもこうして文章を書いている時間、彼女が教えてくれた『ゆくゆく』の為に、力を蓄えているのである。