その女の子は、八重歯を覗かせて笑う、可愛らしい人だった。ジーンズとTシャツがよく似合うその子がにこにこと笑うと、わたしは嬉しくなる。

繁華街の夜だ。名前をちゃん付けで呼ばれて、踊るように身体ごと振り向くあの子。雀のようなショートヘアが一瞬揺れる。手に持つグラスの中身は少ない。誰かがコルクを抜く。朗らかな会話が遠くで響く。店主がレコードを差し替える。歓談。夜は長い。あの子は、わたしを見ない。

底抜けにキュートな彼女は、わたしの母だ。

「大人になり人生をつまらなくする必要なんてない」と教えてくれた母

掃除と料理が趣味であり、特技。ときどき過保護なくらいに家族のことを気にする。ほとんどいつも上機嫌で、歌うように暮らす。少々せっかちに感じるのは、それだけ手際が良いせいだ。

整理整頓や調理を楽しむのと同じように、彼女はアルコールも愛しているように見えた。泣いたり、怒ったりはせず、元々の朗らかさが増すばかりの酔い方をする。付き合いの長い飲み仲間たちは、『ココちゃん』が『ちゃーちゃんママ』になるより昔に遊び始めた友人だ。

わたしが幼稚園に通う頃には、もう十年来の関係すらあったコミュニティだ。保護者会と違い、そこでの彼女はひとりの女の子である。わたしが知る前からの彼女で、わたしを知る前からの彼女だ。

はつらつと家事をこなす母に教わったものは多い。同時に、奔放な『ココちゃん』がわたしに許したものだって数知れない。

大人になることで、誰かの妻や母になることで、人生をつまらなくする必要なんてない。何で、どんな風に幸せになるかは、自分で選んでいい。そんなことを信じていられる。幼いわたしのそばに、ココちゃんがいたからだ。

模範的な母親像から離れたけど、母がわたしを蔑ろにしたことはない

世間が掲げる模範的な母親像から離れたからといって、ココちゃんがわたしを蔑ろにしていたなんてことはない。それは、断じて違う。あの子は、軽やかにわたしを愛していた。

「帰りはいつになるだろう」と心配こそするけれど、ココちゃんと過ごす深夜は確かに楽しかった。遊び疲れて家が恋しくなったあとも、あの子の裾を引いて帰ろうとせがむのは躊躇われた。

女の子が笑う。そこに、母は存在しない。踏切が鳴らない時間になってもはしゃぐその子を理由に、わたしは世界を好きでいられる。

やがてあの子の恋人が、眠いわたしを迎えに来る。外気に冷やされた革ジャンの匂いまで思い出せる。あるいは、温いアスファルトを叩く雪駄の金属音まで。夫の顔を見て、ひときわ華やかにココちゃんが笑う。

父と店を出て2人、夜道を歩く。何をして遊んだかを話していると、タクシーが捕まるまでは一瞬だ。「茶沢通りをそのまま真っ直ぐ」と運転手に経路を伝える父の声を聞きながら、目を閉じる。残してきたココちゃんが、店でにこにこ踊っている様子を思い浮かべる。疑いようのない想像だった。

大人として重圧を感じた時、ココちゃんと過ごした夜がわたしを励ます

ココちゃんと頻繁に遊んだ日々は、実はたった数年間に集中している。小学校に入学する頃には、わたしも彼女もひとり遊びが上手くなっていた。どんなに親しかろうと、あの子は乗り気でない相手を無理に誘ったりしない。彼女の自由は、他者の自由をけして侵さない。

働き始めてアパートを借り、ココちゃんに会うのは年に数回まで減った。しかし、弾むように笑う彼女のイメージは鮮明である。大人として求められることが増えるにつれ、むしろココちゃんと過ごした夜が、わたしを励ますことも増えた。滞りなく主婦をこなしながら、自分の幸福を諦めなかったあの子の強さを思う。

もちろん、献身的な良妻賢母が育むものだってあるだろう。ただ、今のわたしがあるのは彼女が彼女らしくいたからなのだ。