私が小学生の頃、両親は離婚した。
理由は、父の浮気とそれによって両親の不仲が進んだことだった。私を含め姉妹3人は、母親について行くことになった。
私は、お父さんという存在の「温かさ」を感じられないまま育った
初めの数年は、父親とたまに会って私たちだけで出かけていて、関係は続いていた。
しかし、私が高校生の頃、父は昔の温かかった関係の頃を思い出したのか「また皆で住もう」と言った。そして、みんなで住むアパートを探して、段ボールを運び終えた。
そのとき「じゃ、行くから」と父は言った。父は引っ越し中にできた彼女と結婚するといって勝手に出て行ったのだ。
私たちは、2度目のショックを受けた。小さい頃から父親好きだった私は、とても悲しくてお父さんという存在の温かさを感じられないまま育った。
そのせいか人生や恋愛のことについて、どうしたら浮気されない人になれるのか? 離婚しないですむのか? など考えつくした。社会の仕組みや一人でも生き抜けるようにと、勉強を沢山した。
そのせいか歳の近い人より、少し歳上の人との会話の方がしっくり来るようになっていた。また、父親のような温かさを求めていたのか、パパ活が流行り出した時、お金にも困っていたし、歳上が好きだし、それに参加することに抵抗はなかった。返さなければならない自分の学費や生活費を「なんとかしなければ」と必死だったのもある。
それに、閉じられた世界にこもるより自分の可能性、人脈を広げられる気がすると希望を見出していた。
可能性や人脈を広げられる気がすると希望持って始めた
出会う人は様々だった。都内の権威ある投資家、釣り会社の社長、インフラ会社の社長。独身の人や既婚者の方もいた。でも、どの人も私に社会の生き方を教えてくれた。明るく前向きな彼らの話は、これに参加しなければ聞けなかった貴重な話ばかりだった。
ある人からは、整理整頓の仕方やバランスよく生きて行くための術を教えてもらつた。自分のやり方を変えることは抵抗があったし、初めは反発したけれど、3ヶ月経つと少しずつ仕事も生活もうまく出来るようになっている自分がいた。
そして、お金は沢山あれば幸せなわけではなく、必要な分をいかに上手に使うことが大事なのか学ぶことができた。そして、好きなことを突き詰めていけば、必ず誰かの役に立つ知識が生まれて、それが仕事になるということも知った。
また、自分の知らない音楽や環境に触れられたこともとてもいい教訓になった。大きめの音で洋楽を聴いて高速道路を走ったり、クラシックを聴いたり、大きな北海道の湖を眺めたりして楽しかった。
社会に「良い影響」を与えられる人になる
私も今後、社会に良い影響を与えられる人になりたいと思う。
そして今、結婚する予定の彼は、その時に出会った20歳歳上の男性だ。
自然体でいられて、大きな声を出して笑えて、悲しい時は一緒に話し合える、素敵な人。まさかここで出会った人とそうなると思っていなかったけど、お互い分かり合える人と出会えてすごく幸せである。
これについては、またいつか書こうと思う。