私が新入社員の頃の春、いきなり当時付き合っていた彼に振られてしまった。理由は、遠距離だったからだ。

遠距離でも恋を楽しんでいた私。でも、彼は「私」に飽きてしまった

私はたとえ遠距離で彼に中々会えずとも、「遠距離恋愛」を楽しんでいた。中々会えないのは悲しいが、その分ビデオ通話を通しての彼との時間は幸せだった。久しぶりに彼と会えると分かった時には、離れてる寂しさより会えるという嬉しさで数百倍気分が上がる。
中学も一緒だった彼とは、知り合ってから10年は経っていた。そんな彼を、嫌いになれるはずがない。忘れられるはずがない。

だが彼は、遠距離で半年に一回会えるか会えないかという関係性に、「恋人」である必要が無いと考えたらしい。彼は、「遠距離」を理由に別れたいとは言わずに、「今は恋愛の気分じゃない」と言う理由で私を振った。きっと彼は私に飽きたのだと思う。

彼に振られたあの日、私は遠距離が理由で別れたとしても、それは私のせいでも彼のせいでもない。誰のせいでもない。だからこそ私は別れる理由を見つけられなかった。
友達にも相談したところ、友達は「遠距離で別れるような関係だったら、それまでだったんじゃない?近場の男探そう!近場のおとこ!」と、私にとって辛辣な事実を述べた言葉で慰められた。余計に心が沈んだ。

新しい出会いを求め、彼の悪口を言って「忘れよう」としたけど…

それからというもの、私は合コンなりマッチングアプリ、街コン、人の紹介などあらゆる手段を使って新しい出会いを求め、彼氏を見つけようとした。
だが、振られた彼を上回るような相手は現れなかった。それよりも、私は新しい出会いで彼を「忘れようとしていた」。

気づいたら、私は新しく出会った人や友人たちに振られた彼の悪口、嫌味を語っていた。
最低だ。彼との思い出が最悪だったのだ、別れてよかったんだと思えるように私は努力していた。

「彼は思い立ったらすぐ行動しちゃうような自由人だ」とか、「彼は一つの事を集中しちゃうと周りの事が全く見えなくなる人だった」と言った内容の愚痴を吐いて、彼は「あんなにもクズだったんだ」と自分に言い聞かせていた。

だが実際、そんな自由人な彼が、1つの夢に向かって突き進む姿、行動力とバイタリティーで溢れている彼が大好きな部分だった。
 そして私は彼の悪口を言う度に強く感じるようになった。
「あぁ、まだ私彼の事忘れられていないんだな。」

彼を忘れたくても忘れられなかったときに、先輩が呟いた言葉が助言になった

そんな日々を過ごしていたら、会社の先輩にこうつぶやかれた。
「無理に忘れなくてもいいんじゃない?彼との思い出みたいな大切なものがあるからこそ、人って前に進めんじゃないかな……」

先輩はあの時、私にアドバイスというよりも独り言の様にこの言葉を言っていたが、私にとっては助言でしかなかった。
彼の事を無理に忘れる必要はない。きっとこれから生きていく中で新しい出会いを自然に見つけて、次第に彼との思い出も「大切な思い出」に変わっていくのではないかと思った。

その日から私は、彼の事を忘れようともせず、嫌いになろうともせず。だからと言って、新しい出会いを以前の様にガツガツ見つけようとはしなくなった。そうすると、自然と心が晴れるようになり、次第に彼の事も綺麗に忘れていった。

思い出を忘れていくのは悲しい事だけど、消えていく事は決してない。たまに思い出す思い出こそが、私の中にある大切な「原動力」になっているのではないかと今になって感じる。