私は新宿御苑が大好きで、初デートでは必ず行っている。
新宿御苑は、ニューヨークのセントラル・パークみたいだ。ニューヨークには憧れているだけで、一度も行ったことがないのであくまでイメージの話だけれど。広い空に頭一つ抜けているNTTドコモ代々木ビルが、エンパイア・ステート・ビルディングに見えなくもないとすら思っている。

広い芝生と透明な繭のような温室、心地よい距離感で寝そべったり、シャボン玉を吹いたり、のんびりと休日を過ごす人々。
自然と人で形作られるその景色の中に、自分もいるのだということ、そのことで私は満ち足りた気持ちになれる。

雨が似合う新宿御苑。1年半前に別れた彼とのデートも雨だった

新宿御苑は、あるアニメーション映画の聖地になっていることでも有名だ。その映画は雨が印象的に描かれており、雨空の下、二人が惹かれ合い、会話を交わし、時に激しい感情をぶつけ合う。雨の中に閉じ込められる、そんな感じがする時がある。恋焦がれる人が隣に歩いている時、雨が降るとそこに二人きりの世界ができあがる。しっとりと重たい空気が、肩にしなだれかかり、周囲の音が遠のいていく。雨が外界との繋がりを遮断する様は、映画やアニメの中でも人間関係を深める描写として用いられる。

そんなことを教えてくれたのは、新宿御苑で初デートをした元彼だ。
1年半前に別れた彼は、今どこにいて、何をしているのだろう。あれだけ濃密な二人だけの世界があったとしても、それがいつの間にか霧散してしまう。私は雨の中の二人の世界を、今まで何度もつくりあげ、ゴミのように捨ててきた。その事実は私が特別だと思ったもの、そして私自身がまるで特別ではないことを証明するようだ。

それでも、私はその特別でなさに依存することでしか、自分らしさを築くことができない。私にしかできないことが、いつまで経っても見つけられない。映画に関する仕事をしているけれど、私がどんなに好きなことでも、私よりもっと上手くやれる人はいるんだろうなといつも不安が付きまとう。そんな時、唯一私の固有性になるのが、二人の世界だった。自分らしさを彼に依存する、それはとても息苦しいことだ。

気持ちよく思い出せる雨は少ない。交際を引きずっていたあの頃

雨の中の記憶は、このようなこの世界でたった二人という切迫した気持ちとともにあるので、気持ちよく思い出せるものが少ない。別れようと決意しながらも、ずるずると交際を引きずっていた頃の記憶が思い出される。

この人については許せないところが多いけれど、果たして彼以外に私を愛してくれる人などいるのだろうかとか、そんなことを考えていた。雨に濡れた黒々と鈍く光るアスファルトと、湿気たような空気のにおい、視線を上げるとまばらな人通り、若い頃のままの化粧の女性と年相応の男性が俯き加減に身を寄せ合って歩いている姿。

気分まで曇天に塗りつぶされているかのようで、自分一人で折り畳み傘をさし、せかせかと隣を歩く元彼を見上げて、きっと別々に生きていくことはできるのだと気づかされる。

一番好きな雨の記憶も新宿御苑。元彼とくだらない話をしたあの日

それでも、新宿御苑での雨の記憶は他の記憶と比べて、トラウマになっていない。
新宿口の手前にあるコーヒーショップでテイクアウトしたコーヒーを片手に、木立の中を歩いていく。普段はどんな雨でも神経質に傘をさすのに、細雨でTシャツを濡らしながら、元彼と今では覚えていないようなくだらない話をしている。

少し歩くと視界が開けて、芝生と温室が見える。芝生は視界で追いきれないほどに広々と続いているのに、手前のほうで楽しそうにしている集団も多い。見ているだけで明るい気持ちになる赤と黄色とその他様々な色の縞模様のレジャーシート、膨らんで意志を持つように揺れる元気な女の子のスカートの端。新宿御苑にいれば、どんな雨の日だって、私はこの世界の一部になれるのだ。

二人だけの世界よりもずっといい。一人だけで生きていく必要もない。雨が苑内をゆるやかに包み込み、私たちがゆるやかに連帯しているのだと感じられる時、それが一番好きな雨の記憶かもしれない。