雨というと、高校生の頃のひとつの恋を思い出す。
高校生の頃、雨が大嫌いだった。雨の日は、学校に行きたくなかった。わざと電車を乗り過ごして、遅刻して登校するくらい嫌いだった。
雨の日、わたしの「癖毛」が言うことを聞いてくれなくて大嫌いだった
わたしは癖毛だ。チリチリで、うねうねしていて、広がってて、パサパサして見える。雨の日は、この癖毛が本当に言うことを聞いてくれない。朝どんなにきちんとスタイリングしても、家を出て最寄りの駅に着いた頃には、チリチリ、うねうね、大爆発してしまう。雨の日、家から学校まで前髪を手で押さえたまま登校したこともあった。
当時の髪型は、ロングヘアとぱっつん前髪。雨の日には特に前髪が崩れて、額と逆側に跳ねたり、完全に重力に逆らったヘアスタイルが勝手に完成してしまう。
わたしは、私立高校に通っていた。校則には「髪のカラーリング、パーマ、コテで髪を巻くなどの加工は禁止」とあった。縮毛矯正やストレートパーマをかける場合は、「縮毛矯正許可証」という書類を提出しなければいけなかった。
学校では、私のカールした髪を触って羨ましがる子もいれば、「陰毛(笑)」や「今日うねってるねぇ」などとからかう子もいた。ひどいいじめに遭っていたわけではないけれど、「もう誰もわたしの髪質についていちいち触れないでくれ」と思っていた。次第にわたしは、他人に髪のうねりを指摘される前に自ら、自虐ネタとして自分の髪を扱うようになった。
チリチリになった髪を気にしていると「癖毛いいね」と言ってくれた彼
もし、学校が髪の加工を許可していたとしても、まず親の許可が得られなかった。髪が傷む、薄くなる、身体に悪い、勉強におしゃれは必要はない、という理由だった。アルバイトは校則で禁止されていてお小遣いもなかったので、髪にお金をかけられるのは半年に一度、お年玉を握りしめて行くカットと、ドラッグストアで買えるトリートメントやヘアワックスだけだった。
親の癖毛の血を引いてしまったのに、癖毛で悩んでいることを親に全く理解してもらえなかったのは悔しかった。癖毛が嫌で、泣いたことも何度もある。三者面談では「陰毛って言われて嫌だから縮毛矯正したい」と泣いて、先生と親にお願いをした。そのくらい自分の髪が、嫌で嫌で仕方がなかった。
雨の日、わたしが教室でチリチリになった髪をひどく気にしていると、いつも一人のクラスメイトの男子だけは「癖毛いいね」と言ってくれた。茶化すような笑みを含まず、かと言って心ない棒読みでもなく、当然のことを言っているような表情で。わたしが自分の髪が大嫌いなことを察して、慰めようとしてくれたのかもしれないけれど。そういえば、彼のお母さんは美容師だった。
あるときから、わたしは彼の大人びていて落ち着いた雰囲気に惹かれて、彼に片想いするようになった。すると、徐々に自分の髪質を生かすヘアアレンジをするのが楽しくなっていった。生まれつきストレートヘアの友人たちはコテで髪を巻いたら先生に注意されるけれど、自分はコテを使わずに髪をカールさせられる。ラッキーだなとさえ思った。当時、流行っていた漫画『君に届け』のくるみちゃんみたいなヘアアレンジや、ポニーテールをしてパーマ用のムースでカールを出してスタイリングした。
今までコンプレックスだった癖毛は、実は自分の「チャームポイント」
あるとき、彼に告白をした。結果は、「友達のままでいたい」と振られてしまった。でも、彼は次の日にも普通に声をかけてくれた。そして彼の言葉通り、今でも他の友達を含めて遊ぶ仲だ。わたしの髪質をからかう人たちの中で唯一、褒めてくれて肯定してくれた彼を思うと今でも、優しくてかっこいいと思うし、さらに振った相手への接し方を変えずにいられた彼は当時高校生ながら、本当に大人で素敵な人柄だったと感じる。
彼に恋をして、ワクワクしたり、可愛くなりたいと思ったりするだけではなく、今までコンプレックスだと思っていた部分は、実は自分のチャームポイントだったと気がつくことができた。結果的には実らなかったけれど、大切なことに気がついて成長するきっかけになった。今振り返っても、彼を好きになってよかったと思える。そして、今でも彼をいい人だと心から思って、友達として信頼している。
校則がなくなり、自分のお金でカラーも楽しめて、当時よりスタイリングが上手になったのもあって、今ではパーマをかけていると間違われることもよくある。「パーマ?」と聞かれるたびに心の中でガッツポーズしてしまうくらい、わたしは自分の髪が好きになった。
雨の日は今でも髪がチリチリ、うねうねになってしまって、梅雨は特に憂鬱だけれど、彼に片想いしていた頃の気持ちを思い出すと、縮毛矯正やストレートパーマはせずにこれからもありのままの髪質を生かしていこうと前向きな気持ちになれる。
わたしは、コンプレックスは強みにしてしまえば、とても大きな自信につながるということを経験した。今コンプレックスに悩んでいる人にも、わたしと同じようにそれに気がつくきっかけがあればいいなと思う。