もし今、目の前に女神様が舞い降りてきて、私にこう言うとします。
「あなたはこれまでずいぶんとよく頑張って生きてきましたね。苦しいことも多かったでしょう。ご褒美に、これからあなたの望み通りの人生をプレゼントしてあげましょう。欲しいもの、やりたいこと、なんでも言ってご覧なさい。全てはあなたの思い通りです」
そのとき私は女神様になんて言うだろうか。
バスケットボールがしたいわけではなく、“劣等感”でバスケ部へ
ここで少し、私が13歳だった頃の話をさせてください。
私は当時、走ることが大好きで、一人で黙々と何かに打ち込むタイプでした。その反面、ドッジボールなどの球技全般が大の苦手で、大勢の友達とグループで行動するのも苦手でした。
そんな私が中学校に上がると、なぜかバスケットボール部に入部したんです。陸上部に入れば、思う存分走れるし、個人の記録に集中出来るのに、よりにもよって球技、チームスポーツ、加えて学校一派手な女の子達が集まる部活を選んでしまったんです。
私がバスケットボール部を選んだ理由は、“劣等感”でした。今思えば私は、バスケットボールがしたかったのではなくて、“バスケットボール部にいるような女の子”になりたかったんです。そうすれば、みんなの人気者になれるとも思っていたかもしれません。
昔から私のことを知っている人達は、みんな驚いていました。
「バスケ部は怖い先輩も多いって聞くし、顧問もばりばりの体育会系だし、本当にやっていけるのか」って。
周囲の予想通り、私は半年で呆気なく潰れ、バスケ部を辞めました。
私の人生に必要なことは、新しい何かを付け加えることではないから
そういう経験は、私にとっては珍しいことではありません。
私はいつも、“理想の自分”になることを追い求め過ぎて、自分の現状から目を背けがちでした。その結果、私は少しずつ少しずつ、自分が本当に好きなものから離れていって、生きづらいと感じるようになりました。
一番初めに女神様の話をしましたが、(あれは完全に私の妄想なのですが)私はあの質問に、どれだけ考えても答えられませんでした。
なぜなら私の人生に必要なことは、持って生まれた才能を愛することであって、新しい何かを付け加えることではないからです。自分の才能を受け入れなければ、女神様がどんな幸せをプレゼントしてくれたとしても、“自分は恵まれていない。だから周囲から認められない。”と感じる苦しみは消えないからです。
自分にできないことが出来る人って、とても魅力的に見える
何も持っていない人間なんていません。たとえ自分がどれだけ不幸だと感じていたとしても、生まれ持った才能を受け入れ、それを大切にすることで、自分にしか歩けない道が拓けるのだと思います。
もちろん、簡単なことではありません。だって、自分にできないことが出来る人って、とても魅力的に見えるから。“もしも球技が得意だったら、体育の授業も楽しかっただろうし、もっと社交的な性格なら、かっこいい彼氏だって出来たかもしれないのに。”って。
でも、私がそんな劣等感に苛まれていた頃、きっと私を大切に思ってくれる人はこんな風に考えていたんじゃないかな。
「あなたは走ることが大好きなんだから、走れば良い。努力家なんだから、無理に人に合わせずに一人で頑張ったらいい。そうすれば、もっとたくさんあなたの素敵な笑顔が見られるから」って。
自分の才能を愛することは、自分を大切に思ってくれる人を幸せにすることなのだと思います。だからどうか女神様、私に欲しいものはありません。ただ、私がすでに才能ある素晴らしい人間であるんだと毎日気づけるように、見守っていてください。