心が動くとき。

節目は大切にしている。
そして、“自分の心が動いているか”そんなことを敏感に感じてみている。

私の心が初めて大きく動いたとき、それは15歳。
小学3年生から毎日のように続けてきたバスケットボール部を辞め、何をやればいいか分からなくなった私は「またバスケットボールをやりたい」という答えにたどり着き、新たなクラブチームに所属した。

特にバスケットが上手い訳ではない、バスケットボールというスポーツが好きで好きで仕方がないと言われると正直そうでもない……。ただ誰かと何かを成し遂げる、バスケットボールというスポーツを1つのツールを通して誰かと感情を分かち合える事。たぶんそんなことが好きだった。
そんな中学生の私が、クラブチームのコーチとの出会いでなんとなく自分の心の中にある本質を一つの言葉として自分の中に落とし込めたとき、自分の心がいてもたってもいられない、ワクワクしてキラキラして思わず表情がゆるんでしまう。そんな衝撃が走った。

結果が残しきれない自分の全てが報われた気がした、クラブの理念

“なりうる最高の自分になる”

Success is peace of mind which is a direct result of self-satisfaction in knowing you did your best to become the best you are capable of becoming.
成功とは、なりうる最高の自分になるためにベストを尽くしたと自覚し、満足することによって得られる心の平和である。

成功とは、お金や物や名声を得ることではないし、勝利を手にすることではない。勝利を超えて、ベストを尽くし続けることである。

ジョン・ウッデンの成功の定義が私の所属したクラブチームの理念だった。

この理念を初めて聞いた時、ただ好きだったバスケットボールが大好きになったのを覚えている。そして、どこか不器用で結果が残しきれない自分の全てが報われた気がした。

幼い頃から、全力でやっているのに何か認めてもらえていない自分が心の中にいた。
姉と弟がいる私は、いつでも寡黙にコツコツと努力している姉が注目を浴びていること、存在するだけで注目を浴びる末っ子の弟の狭間に、どこが認めてほしいという自分が常にいた。
きっと兄弟構成から生まれるなんらかの自分にしか分からない劣等感は上であっても下であっても少なからずあるはずだ。
(今になってみると長女でもなく長男でもなく1番自由にやらせてもらっている私は、姉と弟に頭が上がらないが(笑))
しかしあの時感じていた劣等感は、この理念を目の前にした時に大きく覆されたのだ。

それが、とても重要で何より自分を大切にできる一番の方法

“なりうる最高の自分になれたかどうか”。
誰かと比べずに自分自身に偽りのないベストを尽くせているか。

そんな事が実はとっても重要で何より自分を大切にできる1番の方法だという事に気がついた。そして、自分自身のベストを尽くすことを突き詰めていくと、他の誰かに対して優しくできたり大切にできたりするための方法だったりもする。

幼い時の私の口癖は、「なんで私ばっかり……」。
よくそれは違うと母に怒られていた。

でも今の私は、「私だからこんなチャンスをもらえているのだ」に本当に変わった。それは楽しいことも、一見辛いと見えてしまうことも含めて。

目の前に起きることは今の自分に必要な事で、意味のないことなんてない

今の私が3年前の悩んでいた自分を思い出す事がある。
悩んでいたときは、どうしても辛かったし、「なんでこんな事が起きているのだろう」と悲観的になったりもする。
でもどんな事が起きても、その物事に対して自分自身のベストを尽くせているか。それさえできていれば、その悩みが悩みでなくなったときに、きっと自分の糧になっているのだと思う。

そう思うと自分の目の前に起きることは、きっと今の自分に必要な事なのだ。
その時の自分がその事を楽しめないようなことであったとしたら、「何故自分は今この感情を抱いているのだろう」と。出来事の中に隠れている自分にとって大切なこと必死に必死に向き合ってみる。そう思うと意味のない事なんてきっとなくて、自分の自分らしいを更新していくための出来事に過ぎなかったりもする。

そんな自分の心がどうしても騒めく時は、きっとそこから距離をおいて自分のステージを変えるきっかけとなる時なのではないのだろうか。

ありのままの自分を受け入れて、理想の自分になれるよう少しばかり背伸びもしてみて、そこから生まれるなにかをしっかりキャッチして。そんなことの繰り返しが人生なのかな。なんておもったりもする。

慌てず騒がず急がず。
自分心が動く方向に、ただひたすら揺られていきたい。