『あの子』がいたから、私は強くなれた。
『あの子』がいたから、私は自分を認めることができたんだ。
 あの頃の私はもう居ない。ここに立っているのは、あの子に比べられない、本当の私。

「双子なのに」何度も言われた言葉が私の心をズタズタにした

私にとって「あの子」とは、双子の姉である。
ごく普通の一般家庭に、私は双子の妹として生を受けた。小さい頃から、「双子っていいよね」「双子がよかった」なんて言葉をシャワーのように浴びてきた。

そう、側からみれば双子はとても羨ましいもの。家族に同じ歳の子がいるなんて、楽しいに決まってる!そう思うんだろう。でも実際は、全くそうじゃなかった。

私の姉は明るく、気遣いができ、誰からも好かれるそんな女の子。いたって私は、自己主張ができず人見知り、それでいて頑固、という姉とは正反対の子供だった。そのせいか、家族にも友達にも、よく比べられてきた。

「あの子はこうなのにあなたは違うよね。双子なのに」
この、「双子なのに」という言葉が、鋭いナイフのように何度も私の心をズタズタにしてきた。双子だからといって、同じ人間ではないのに。あの子がいないと私は存在しちゃいけないのか?と錯覚するほどだった。

いつしか私は、「あの子よりも優れた何かを手にしたい」そう考えるようになった。
私は幸運にも、勉強はできる方だった。中学生の頃の私は「まずはもっと勉強をして、良い高校に入ろう」そう決意した。

1日十時間以上も勉強した結果、努力は実り、県でも有名な進学校に入学することができた。
これでもう、あの子と比べられることはないだろう、と安堵したのも束の間、状況は変わらなかった。せっかく勉強をしてあの子より良い高校に入っても、私の心は霧がかかったようにモヤモヤしていた。求めていたのはこうじゃない、そう思った。

アメリカ留学で出会ったおばあちゃんの言葉がターニングポイントに…

そんな時見つけたのが、アメリカでの留学プログラムだった。幼い頃から海外に憧れがあった私は、すぐに飛びつき応募した。倍率50倍と言われる門をくぐり、憧れのアメリカへ留学が決まった。この留学こそが、私とあの子のターニングポイントになる。

自由の国と言われるアメリカは、まさにその通りだった。
道端で踊る人たち、壁に絵を描く人たちなど、ユニークで心が温かい人ばかりだったのを覚えている。そして個と個が確立しつつも、喧嘩しない絶妙な感じが漂っていた。

中でも印象的なのは、マーケットで知り合った、笑うと目尻の下がる上品なおばあちゃん。おばあちゃんは「どこから来たの?」という他愛もない話をしてくれ、話の流れから家族の話になり、私は双子であることをおばあちゃんに話した。

すると、「まあ、素敵ね!双子で産まれるなんて奇跡よ」と言ってくれた。
「でも比べられるので、良い思いはあまりしてないんです」と私がいうと、おばあちゃんは私が持っていたチーズを見ながら、「あなた自身が比べているからではないの?」と、私の好きな目尻が下がった笑顔で返してきた。

しまった、と思った。確かにそうだった。
振り返ってみると、無意識に比べているのは自分だった。全く違う人間なのに、いつしか私はあの子と自分を重ね合わせてしまっていたんだ、そう気づいた。

私は一番大切なことを忘れていた。「自分は自分」であること。そして「あの子はあの子」であること。この事実が何よりも大切なんだ。おばあちゃんは昼下がりのマーケットで、重要なことに気付かさせてくれた。

「自慢の妹だよ」姉からの手紙に嬉しさと恥ずかしさを覚えたあの日

そして留学中、私は姉から一通の手紙を貰った。なぜだろう?そう思いながら読んでみるとこんなことが書いてあった。
「留学に行くなんてすごい!自慢の妹だよ」

そう書かれていた。思わず涙が出たと同時に恥ずかしくなったのを覚えている。
私は、あの子と違う自分をみんなに示したくて留学に行くことにした。あの子は違う、あの子よりも私はすごい、そんな陳腐なことを周りに見せつけたかったのだと思う。

なんて浅はかな考えだったんだろう。あの子は、私を対等で見てくれていたのに。あの子は、自分と私をちっとも比べてなんていないじゃないか。おばあちゃんの言う通り、私だけが気にしすぎていたんだ。

暫くは申し訳なさで胸がいっぱいで、涙が止まらなかった。
帰国後私は、「あの子」である姉に一通の手紙を渡した。そこには、「あなたと双子でよかった」と書いた。心からそう思ったからだ。

姉は「どうして同じ家なのに手紙なの?」とはにかみながら嬉しそうに読んでいた。
これが私と「あの子」の物語。
今は比べるのではなく、お互いが互いを認め合い、褒め合うそんな関係を築けている。
なんて言ったって、私たちは双子として生まれた奇跡の2人なのだから。