「あらまぁ、同じ4階ねぇ」
 団地のエレベーターで一緒になった、真っ白い髪の、小柄なおばあちゃんが笑顔で話しかけてきた。
「私は401号室に住んでいるの。よろしくお願いしますね」
 深々とお辞儀をされた。私も404号室に住んでいることを告げ、お辞儀をした。
 エレベーターから降りたところで、「いくつ?いつから住んでいるの?」とおばあちゃんにまた笑顔で話しかけられる。
「21歳です。この4月から住んでいます」と笑顔で返す。
「あらあらまぁまぁ、若い人がきて、嬉しいわぁ。お1人なの?」
「いいえ、母と2人暮らしです」
 笑顔を作りながら、「ああ、何度目の会話だろう…」と心の中でため息をつく。

半年間の「初めまして」を経て、「久しぶり」と声をかけられるようになった

 都内の某区にある団地に越してきて、3か月は経った。引っ越しの挨拶にいった403号室と405号室の住人には全く会わず、顔も忘れてしまったが、401号室のおばあちゃんには月に2、3回くらいの頻度で会う。そして、毎回初めましての挨拶をしている。
 また初めましてか……と思いつつも、長話にはならないので、面倒くささはなかった。エレベーターから降りて、1分ほど挨拶や世間話をし、それぞれの家に帰る。
「私のこと覚えてもらえることはないんだろうな」と思っていた。しかし、越してきて半年過ぎたあたりから、「久しぶりね」と声をかけられるようになった。無理だと思っていたのに、覚えてくれたことが、なんだか嬉しかった。
 ただ、私の年齢は覚えてもらえず、「いくつ?学生さん?」「はい、21歳で、大学4年です」という会話が毎回行われていた。
 あっという間に3月になり、大学を卒業し、社会人となった。大学生の時とは活動時間帯が変わり、おばあちゃんと会う頻度はめっきり減った。それでも会ったときは変わらず笑顔で「久しぶりね」と声をかけられた。「今いくつ?」「22歳で社会人です」というやりとりに変化した。
 私の方は、大学生の時ほど笑顔でもなく、積極的に会話することができなくなっていた。社会人1年目、仕事は覚えることだらけだし、年下の彼氏と付き合い始めたばかりで、恋愛も頑張らないといけなかった。とにかく疲れていた。

 社会人1年目の年が明け、2月下旬に、私は都外の街へ転勤を命じられた。3月下旬に、引っ越すことになった。引っ越しの準備は幼い頃から慣れているが、新しい職場に行くことの不安、遠距離恋愛できるかなどの不安でさらに疲れる日々を送っていた。
 3月上旬のある日、エレベーターでばったりおばあちゃんに会った。「久しぶりね」と微笑むおばあちゃんに、私も「久しぶりです。」と返した。「今いくつ?」「23歳で、社会人です」といつもの会話をしたあと、「もうすぐ引っ越します。お世話になりました」と挨拶しようか迷ったのだが、しなかった。いつも同じ会話をしているのに、違うことを言って、どんな反応をされるのか怖かったし、お世話になったと言うのも変な気がした。いつも通りの会話をして、それぞれの家に帰った。

「本当にいい子」おばあちゃんが忘れたのは年齢、ただそれだけだった

 そして引っ越しの日がやってきた。私はホテルにいた。疲労がたまったのか肺炎になり、引っ越し先の街のホテルで療養していたのだ。引っ越し業者の対応や退居するときのアレコレは母親が全て1人でやってくれることとなった。ありがたい。とにかく寝て治すしかない。寝る。

 携帯のブルブル震える音で、目が覚めた。母からの電話だった。無事に退居できたのか聞いたところ、「それがね……」とぽつりと話し始めた。
 私たちは引っ越してきたばかりの頃、洗面所に繋がる片開き扉を外した。扉はドライバーでねじを回せばあっさりと外れた。扉を外したことで、空間を多く使えて便利だった。
 しかし、そのことをすっかり忘れていた。引っ越し業者が大きな家具を運んでいる最中に、棚の後ろから扉が出てきて、母は真っ青になったらしい。ドライバーはもう引っ越し業者のトラックの中だ。
 403号室のチャイムを鳴らしたが、不在。402号室のチャイムも鳴らしたが、不在。401号室のチャイムを鳴らしたら……おばあちゃんが出てきた。
 事情を話し、ドライバーを貸して欲しいことを告げると、すぐに持ってきてくれた。そして、「404のお嬢さん、本当にいい子だったわぁ」と寂しそうに言い、「どこに行っても、元気で頑張ってね、と伝えて下さい。」と言って、笑顔で母にドライバーを貸したそうだ。
 それを聞いた瞬間、鼻の奥がツーンとして、涙がぶわっとこみ上げてきた。
 なんで私は、きちんと別れの挨拶をしなかったのだろう。私はどこか、おばあちゃんのことを「高齢だから」「どうせ忘れるから」と思っていたのではないか。私の年齢は確かに毎回忘れられていた。でも、私の存在を忘れられることは「久しぶりね」と声をかけられて以来、一度もなかった。

名前も年齢も重要ではなかった 今は笑顔しか思い出せないけれど

 肺炎が治ったら、おばあちゃんに、ドライバーを貸してくれたお礼の手紙を書こうと思った。しかし、名前が分からなかった。初めましての挨拶をしていた頃に名乗ってくれたと思うが、聞き慣れない名字で、忘れてしまった。ただただ、ホテルで涙を流すしかなかった。

 あれから5年が過ぎた。おばあちゃんがどんな髪型をしていたのか、どんな服装をしていたのか、もう覚えていない。でも、おばあちゃんの笑顔と、あの時の後悔は忘れていない。

 今年度知り合ったアメリカ育ちの同僚が言っていたが、アメリカでは履歴書に年齢を書く欄がないそうだ。驚く私に、「年齢って必要かなあ」と同僚はぼやいていた。
 401号室のおばあちゃんは必要ないから、私の年齢を忘れていたのかもしれないな。それに比べて私は……。
 おばあちゃん、ごめんなさい。誰に対しても年齢差別をしないで、どこにいても元気で頑張るから、どうかおばあちゃんも笑顔を忘れず、元気でいてね。