久しぶりの連絡はちょっぴり緊張する。でも、彼女だけは違った
ふと思い出して連絡する友だちが、何人いるでしょう。広く浅く交友関係を築くタイプのわたしは、大学時代毎日いっしょに過ごした友人でさえ、卒業から5年経過したいま連絡をとるのにちょっぴり緊張します。
忙しいのではないか、迷惑ではないか、無理をして付き合ってくれるのではないか。
そう考えると、ふいに浮かんだ顔を急いで、丁寧に打ち消すのでした。
でも彼女は違います。
中学時代おなじ部活に所属して、夢を追って遠くの高校に進学した彼女。以来10数年、会ったのは数えられるくらいです。
けれど彼女は、わたしの中で定期的にひょっこり顔をのぞかせます。そのたび連絡をするのでした。
私を不思議な響きで呼ぶ彼女はたまにビシッともっともなことを言う
「あいっちょは、うちのカエル君だから」
わたしのことを「あいっちょ」なんて不思議な響きで呼ぶのは彼女くらい。小柄で、いつもどこか彼方を見ていて、話し方に独特のリズムがあって、ぼうとしているのに、たまにビシッともっともなことを言うのでした。
「うちは、ガマ君」
だから、わたしがよくわからないと思うことも、何かしらの意味が含まれているだろうことはわかりました。わたしがカエル君、彼女がガマ君……一応、意味を問うてみたけれど、彼女はふふんと笑っただけでした。
部活動は美術部でした。わたしの絵は特別うまいわけでなく、へたというわけでもありません。美術部に入れば、絵がうまくなるかもと期待しました。一方彼女は、小学生から絵の教室に通い、人を惹きつける絵を描いていました。
「わたしなんて、あなたみたいに上手じゃないから」
下を向くわたしに、
「なに言ってんの。あいっちょ、絵描けるじゃん」
と言った彼女の声音が、いつもより強くてびっくりしたのを覚えています。
だからわたしは今でも、特別うまくない絵を描いて、描くたびに彼女を思い出して、連絡するのでした。
立ち寄った図書館で偶然見付けた絵本。私の中の彼女が顔をのぞかせた
中学を卒業して10数年がたち、彼女は東京で、わたしは北海道で社会人をしていました。
休日に立ち寄った図書館、並ぶ絵本のなかに「ガマ君とカエル君はいつも一緒」というポップがありました。わたしの中の彼女が、ひょっこり顔をのぞかせました。
2匹の友だち蛙の絵本。彼らは一緒にいると、悲しいことが半分に、楽しいことが2倍になります。ちょっぴり突飛なガマ君と実直に暮らしを営むカエル君では、どうにも似たもの同士というわけではないけれど、でもやっぱりいつも頭の片隅にお互いがいて、ちょっとしたことで思い出しては築かれる関係が、やさしくコミカルに描かれていました。
彼女に連絡しました。
結婚報告をしてきた彼女に贈るお祝い。やっぱりあの本だと思った
彼女が「そういえば」と結婚報告をしました。昔からそういうところがあります。
結婚祝いに選んだのは、あの絵本。彼女に贈る大切ななにか、と考えたとき、あの言葉が浮かびました。
わたしは10数年間、あの言葉を大切に抱きしめていました。そのお返しができるのは、やはりあの絵本だと思いました。
彼女が旦那さんと過ごす新居であの絵本をひらいて、いつか生まれる子どもにあの絵本を読んであげて。そう考えると、わたしの中の彼女が、にんまりと笑いました。
わたしのガマ君、結婚おめでとう。