誰にでも「好き」なものや、ことがあると思う。それは好きなアイドルだったり、アニメだったり、または趣味で続けていることでもあるかもしれない。しかし、それをずっと好きで居続けることは簡単なことではない。

私の好きなことは、もはや日常の一部だった

私は小さい頃から絵を描くことが好きだった。幼稚園では何冊ものスケッチブックを全ページ埋めていたし、中高はどちらも美術部に所属していて、放課後は時間の許す限りずっと絵を描いていた。大学に入って美術サークルに入部してからも、毎日スケッチやデッサンをしたり、とにかく絵を描き続けていた。絵を描くことは、私にとって日常になくてはならないことで、当たり前だと思っていた。
しかし、最近になって、絵を描くことが好きだと思えなくなってきたのだ。私は今まで、自分の中の想像を形に出来る楽しさから絵を描くことが好きだった。今までずっと、その欲求や探求心で絵を描いてきたのだ。

他者からの評価が良くも悪くも私の絵を描く欲求を止めた

大学に入ってからはイラスト投稿のサイトを始めて、SNSでの交流も楽しんだ。自分が投稿した絵には多いとはいえないが、ほどほどの評価がもらえた。それは時には私に良い刺激を与えてもくれたが、徐々に評価がどうなのか、周りから自分はどう見られているのかの恐怖のほうが大きくなった。時間がたつにつれて、私は自分の描きたい絵を描くのではなく、誰かに求められる絵を描くようになってしまっていた。
絵を描くことが苦しくなっていたころ、サイトを開いて誰かの絵を見ることでさえままならず、長期間、絵を描くことや見ることから離れていた時期があった。絵を描かずに数か月が経ったころ、何度か交流をしたことがある絵描きさんから一通のメッセージが届いた。
要約すると私が絵をかくのをやめてしまったことを残念に思っている、といった内容で、かなりの長文だった。

難しいを超える、その可能性を見つめて

そのメッセージの中に「なにかを好きで居続けることは、とても難しいことだと思います」といった一文があった。それでもあなたの絵がまた見られたのなら、私はとてもうれしいです、と続き、他にも私の絵のどこが好きなのかを事細かく書いたメッセージに、私は思わず涙が出た。
なにかを好きで居続けることは、そう簡単なことではない。今まで好きで居ることが当たり前だったことも、いつかはそれが当たり前ではなくなる日もくるのかもしれない。
なにかを好きで居続けることは難しいのだ。それは事実であり、自分も今まさに「難しい」状態に陥っている最中で、こういうときはもうどうしようもないのだと思った。
この一言は、彼女にとっては何気ない一言だったのかもしれないが、私にとっては心を軽くしてくれるような、優しい励ましの言葉のように聞こえた。
現在、私はサークルでの活動として展示会用の絵を年に数枚作製している。好きなことを好きで居続けることは、確かに難しい。だが、その「難しい」はいつか乗り越えられるかもしれない。そんな可能性があることを忘れずに、私はこれからも絵を描き続けるのだと思う。