私は高校生まで、人にいじめられる子として見られてきました。
おしゃれに興味がなくて地味で陰キャラで友達が少ない子。本当にそう見られたかった訳じゃないのにと思いながら.…..。
ただ、どうしたら友達がいて明るくて思い描く理想の自分に見せられるか?わかりませんでした。
それは高すぎる理想だった、私が思う普通の見せ方や見られ方
大学では心機一転、成績が良かったこともあり、一目置かれる存在として見られ、自然と友達がいて積極的にボランティアをして自分の思い描く理想の見られ方や見せ方ができました。
新卒で就職するとうつ病になり、自分の思っていた一般的な仕事や恋をするような見せ方をすることができなくなりました。
私は普通に見られたい。私の思う普通の見せ方や見られ方は、仕事でキャリアを積み、恋人や家族に囲まれて充実した日々を送る。たくさんの幸せを手にすること。
今、思えば高すぎる理想でした。就職できないかもとか考えたことなく、就職しても社会情勢で解雇されるかもしれない。大きな病気で障害を負うかもしれない。そんな見られ方をするような人生なんて考えたことも想像したこともありませんでした。
人生はドラマのように幸せなものだと思っていました。だから高い理想の普通を追い求めていました。
普通に見せたいはずなのに。自殺未遂をして自分を傷つけてしまう
普通に見せたい。そう思う一方で自殺未遂をして自分を傷つける。警察に何度もお世話になる。そんな見せ方をしたいわけじゃないのに...…。きっと家族からは問題児だし、妹には縁を切りたいと思われる見られ方になっていました。
病気をもったらもう不幸な見せ方や見られ方しかできない。精神障害者は生きていても社会から白い目で見られる。だから幸せな見せ方なんてできない。障害者は差別された見られ方をする。生きていても..…。.
仕事をしようとして病気を隠して働こうとして、でも精神科の閉ざされた病棟に入院して解雇される。その繰り返しで...…入院した時鉄格子に閉ざされた景色は今でも忘れられません。
心の病気は目に見えない。誰かに気づいて欲しくて今度は拒食症になりました。これで身も心も病気であることで「私は働けなくても生きててもいい。病気だから仕方ない」そんな見られ方がしたくて。必死に痩せ細り病気のように見せたい、そんなことで私の頭はいっぱいでした。
小さな幸せに満ち溢れる日常の中、変化した思い描く見せ方見られ方
でもある時、SNSで出会い付き合うようになりました。その頃からちょうど心の病気が落ち着いていたこともあり、1日1日が楽しくて、小さな幸せに満ち溢れていることに気づくようになりました。
彼が障害者でも白い目で見る人ばかりでないことも、障害者にもちゃんと人権があって人として生きられる世界があることを教えてくれました。
まだ、フルタイムで働けないけれど、親の援助も借りて生活できるようになりました。
ここにきて私が見せたいと思う見られ方が変わりました。
もう病人のように見られたくない。
ただ、まだ摂食障害は治っていません。
今も体重が気になり、太ることで拒食したいと思います。あの頃と違うのは低体重でも痩せ細り病人のような見られ方、見せ方をしたくないと言うこと。
今の見せ方も見られ方は、過去の私とはきっと違うことでしょう。
だから今私が見せたい見られ方は、過去の思い描いた見せ方や見られ方と違います。
1日1日を生きていられることが幸せで...。
私の心の病気はうつ病じゃなく、一生付き合う病気に変わりました。精神障害者として生きることになりました。今の仕事は障害をオープンにしています。幸いなことに家族や恋人、職場の人、周りの人に支えられて幸せを感じています。
1日1日を生きていけることが幸せで、病気や障害があってもその中で幸せな見せ方や見られ方があるということ。