私は県内でも1位2位を争う進学校に通っていた。各中学校の上位層が、私の高校にはいた。
それでも私は中学校では学年1位を取ったこともあったし、生徒会役員をしていたことからくる自己肯定感もあったので、充実した高校生活を送れると信じてやまなかった。
しかし、彼女に出会ったことで、私は自分自身を井の中の蛙だと自覚した。
噂になるほど賢く、フレンドリーな彼女。私はそのオーラに圧倒された
まず、彼女は噂になるレベルで賢かった。クラスが違うにも関わらず、顔も知らないにも関わらず、あの子が賢いという噂だけは1年生の1学期から知っていた。
2年生になって、初めて会話した時にそのオーラに圧倒された。まるで芸能人に会ったような興奮をしたことを覚えている。
そして3年生になると、私は彼女の隣の席で過ごすことになった。席替えで隣の席になった彼女は、確かに賢かった。授業中のペアワークでは常に率先して話してくれたし、お互いに採点する小テストでは常に満点を取っていた。
でも彼女の凄さのうち、「賢い」というのは、ほんの氷山の一角に過ぎなかったのだ。
まず、彼女は優しかった。
賢いゆえに周りの生徒から質問を受けることも多かった彼女は、いつでも優しく根気強く質問に答えていた。参考書を貸してあげる姿も見かけたことがある。
次に、彼女はフレンドリーであった。
クラスメイトと仲が良いのはもちろん、1,2年生のときに同じクラスだった人とも廊下で話しているのをよく見たし、むしろ話しかけられているシーンをよく見た。雑談のために先生から話しかけられているシーンも珍しくなかった。それらは、彼女の明るくて信頼のおける性格の証明でもあった。
そして、彼女は常に堂々としていた。授業中に当てられたときは当たり前。彼女が輝くのは全校生徒の前で話すような時だった。
彼女が全校生徒の前でプレゼンをするという機会を与えられたことがあった。彼女は立ち振る舞いも堂々としていて、話し方もハキハキとしていた。緊張しているようなそぶりもみせず、むしろ「私の話をきいて!」という気概が伝わってくるようだった。
彼女と過ごして、彼女の向上心に憧れた。嫉妬のような感情はなかった
最後に彼女は好奇心旺盛だった。
彼女は高校から案内された講演会やポスターセッション大会に自ら参加していた。学びたいという欲、経験を積みたいという欲。彼女は、桁外れな知的好奇心を持っていたのだ。勉強、部活と並行して、講演会などに参加する彼女は時間の使い方もうまかった。
そんな彼女と1年間同じクラスで過ごしてみて、影響を受けないわけがない。同級生ながら、私は彼女のことを凄いと思っていたし、彼女のようにならなければならないとも思っていた。
入学した頃の中学生時代の気持ちのまま、充実した学生生活を送れると信じていた自分を恥ずかしいと思うほどに、彼女の向上心に憧れた。そこには嫉妬のような感情はなく、ただただ格の差を感じながらも彼女を目指したいと思っていた。
大学でも輝く彼女。彼女に追いつきたくて、私は今日も頑張るのだ
しかしその一方で、私は彼女のようにはなれないという諦めも感じていた。
そうして高校を卒業した今、彼女は東京の大学に、私は関西の大学にいる。今の私と彼女をつなぐのは、Instagramだけだ。
Instagram越しでも、彼女は輝いていた。大学でもよくフィールドワークに出掛けていたし、国際団体で活動しているようだったし、1年生の時からとある先生のもとで専門的な知識を蓄えているようだった。
そういった投稿を見るたびに、やはり彼女は遠くにいても追いつきたい背中を持つ人物なのだなと実感する。次第にこの気持ちは「追いつきたい人に認められたい」という欲求にも変わっていった。
だから、私は今でも彼女のことを意識しながら、過ごしている。彼女ならこのくらいの忙しさはこなしてみせるだろう、もっと欲を出して学ぶだろう。そんなことを考える。
私が学部で研究していることが、サークルで活動していることが、巡りめぐって遠くの彼女の元に届かないだろうか。そして、少しでも「すごい!」と思ってもらえないかという淡い夢を抱きながら、私は今日も頑張るのだ。