私は中学受験をして、中高一貫校の女子校に通っていた。私の周りには、いつも頭のいい人たちがたくさん当たり前のようにいた。

どこの大学に進学したかどうかで、今までの友人関係が崩れてしまった

同級生の中には、海外の大学へ進学し、そのまま海外の一流企業で勤めている人や、東大、早稲田、慶應などのいわゆる名門大学に進学し大手企業に就職した人たちがたくさんいる。私もそんな風になることしか考えていなかったし、なりたいと本気で思っていた。

しかし、努力の結果むなしく、私はすべり止めの某女子大に進学することとなった。高校は、私にとって最高に楽しい場所であったのにもかかわらず、私は友人たちと会いたくなくなってしまった。

成人の集いでは、皆が大学のサークルの話を楽しそうにしている。そして、ふとした拍子に「そういえばどこの大学通っているの?」と聞かれて、私はそのやり取りにストレスを感じて、同窓会のような機会を自分から遠ざけてしまった。

SNSで同級生たちの楽しそうな大学生活が見えるのが嫌で、アカウントを削除した。

すると、あれだけ仲良かったはずの同級生たちとは疎遠になった。どこの大学に進学したかどうかで、今までの友人関係まで崩れてしまった。それが悲しかったけれど、いろいろな気持ちが私の中に混在していて、当時何もできなかった。

自分は全然実力がないのに、根拠のない「プライド」ばかりが高くなる

このような環境で、中高6年間を過ごしたこともあって、自分は全然実力がないのにもかかわらず、「できる同級生たちと同じコミュニティーに属している自分もできる」「そこら辺の同い年の子とは違うんだ!」という根拠のないプライドばかりが高くなった。いつも人からの評価ばかりを気にする人間になってしまったと思う。

最近、リモートで昔の友人たちと久しぶりに話をする機会があった。私より高学歴で成功したと思っていた友人は、外資系企業を辞め、フリーターとなっていた。それを聞いても私は、彼女のことを情けないなんて思わなかったし、彼女がいろいろ悩みに悩んで決めたことなんだから、応援してあげたいと思った。

私がそう思ったように、私が深く学歴コンプレックスを持っていたころ、彼女も同じことを思ってくれていたらしい。学歴では測れない私の良さを知ってくれているからこそ、新しい環境で頑張ってほしいと応援してくれていたらしい。

私は、学生時代「馬鹿にしていた高校」で教師として働いている

こんな私も現在、高校教師をしている。自分が通っていた高校よりも偏差値がだいぶ低いので、常々今まで私が感じてきた当たり前だと思ってきた世界は、本当に狭い世界のことだったんだと思った。

私は学生時代、馬鹿にしていた学校で教師として今働いている。知識や教養がないと、なんて乏しい発想しか思い浮かばないのかと残念に思うこともある。自分の過去の当たり前とかけ離れすぎていて、ギャップに苦しむことも多い。

でも、困難の多い環境にあえて身を置くことで、自分がさらに成長できるような気がしている。そうはいっても、いまだに何かと学歴を気にしてしまうからこそ、今の学校に勤務していると思うと少し悲しくなる。

変わりたいな。どうにか変わりたい。でも、変わり方がわからない。