「何でも一生懸命にやるところが大好きだよ」と2歳年上のちいさんが、私宛の手紙のこの一言で、涙があふれた。

ちいさん、大学ご卒業おめでとうございます。社会人になっても、仲良くしてください。

高校まで吹奏楽をしていたけど、大学では「ダンスサークル」に入った

私は大学1年生の頃、少しの気の迷いで“ダンスサークル”に所属した。高校まで吹奏楽をやっていた身としては、音楽関係を続けるのもありだったけれど、もう私の音楽熱は燃え尽きていた。

これからは、音楽を受け身で楽しむことにしよう。私は演技が好きだし、身体表現を心得ることは大事。運動不足解消とダイエットの為にと軽んじた考えの下、ダンスサークルに所属した。

私は、ダンスはもちろん、これまでにスポーツを全く心得ていなかった。周りは、みんな経験者。私は一般的に運動できる方だと思っていたが、そうではなかったらしい。体は硬いし、リズムもうまく掴めない。思ったように体も動かなくて、自分の出来の悪さに恥と殺意を抱いた。努力と時間さえあれば、上手くなるとかそういうものではない。生まれ持ったセンスの問題。

叱られること、ひたむきに努力すること、明るく返事をすること。吹奏楽部で心得ていたが、そんなものは必要じゃなかった。運動のできる親の下で、小さい頃からスポーツの一つや二つやっておけばよかったな。とうとう親まで呪い始めた。踊ること、自分の身体で表現することって、こんなに苦しくて、しんどいことなのか。とうとう私のアイデンティティまで恨み始めた。

ちいさんはよくわからない人だったけど、私は憧れて惹かれていった

“劣等感”というフレーズを躍らせたかった。ちいさんは、ダンスの振りをつけるとき、必ず一人一回ソロパートを割り当ててくれる。私にとっては、非常に迷惑な話だった。私の運動音痴が公に晒されてしまう。とにかく、一生懸命でこの役を果たそう。割り当てられたこの“劣等感”というフレーズに自分の表現をひたすら込めようと、私は出来ないなりの努力をした。

ちいさんは、アニメ好きという共通項を持っていた。ただそれだけ。そんなきっかけ。もっと仲良くなれたら、一緒に好きなこと話せるかな、話せたら絶対楽しいだろうな。勇気をもって、私はちいさんに話しかけた。

ちいさんは、想像していたより、よくわからない人だった。そんなよくわからないちいさんを知りたくて、家に招いた。一人暮らしのアパートは狭く、そして私たちの距離を物理的に縮める。それでも、ちいさんは結局よくわからない人だった。だけど、そのよくわからなさに、私は惹かれていった。

ちいさんは生きることが辛くて、それをダンスで昇華することで生き続けていた。ちいさんは、自分じゃない誰かになって、喋りとお酒で腹を満たして、朝帰る生活に酔っていた。ちいさんは、自分が大好きな人で、そんな自分を理解できる人はこの世にはいない、そう思って生きている。私はそんなちいさんが憧れであり、すごく近くに感じた。だから、沢山自分のことを話して、ファンレターを書いて、ちいさんを知ろうとした。

「表現力がある、表現力は誇っていい」とちいさんが私に言ってくれた

ちいさんは、私に“劣等感”というフレーズを躍らせた。運動音痴の私への皮肉じゃなかった。一番私が表現できると思ったから、このフレーズをくれた。ちいさんは、私に手紙伝いで言ってくれた。私には表現力がある、その表現力は誇っていい、だからこれからも大切にしてほしい。

嬉しかった。私の中でいろんな嬉しいの感情が、涙となって溢れ出した。そして、ちいさんは私の何もかもを知っているんだなと納得した。

ちいさんは、私にとって近くてものすごく遠い人。結局、私はダンスサークルを辞めたけれど、表現を生きる糧に選んだ。ちいさんは、私の知らない所で生きている。どんな生き方もちいさんらしくない。だから、どうかこれからも仲良くして下さい。ただ、純粋にそれだけ。