26歳、転職回数4回。適応障害で通院歴アリ。「生き方模索中」。
もちろん、こんな人生送るはずじゃなかった。だが、学生時代より今のほうがぐっと生きやすいことは自信を持って言える。
「素直になるって最高!!!」
素直になるなんて、あたりまえじゃないかと言われそうだが、これが私にはなかなか難しいことだった。素直になるどころか、自分が何をしたいのか分からなくなっていたからだ。
何をするにも「~すべき」に憑りつかれて生きてきた。

ひたすら描いた。絵を描くことが唯一の自分を表現する手段だった

私は、三姉妹の長女である。物心ついたころには「良い子でいなければいけない、わがままを言ってはいけない」と思い行動していた。いつも一緒にいた年子の妹に「ねね(私の愛称)が、こうしたい、ああしたいと言わないから、わたしが代わりに言ってたんだよ」と言われるくらい、親にたてつくことはなかった。おとなしく静かな子供になってしまったのには、しっかり原因があった。

6つ下の妹が生まれてくるとき私と次女は、母とは離れて、父方の祖母の家に預けられていた。寂しくなった私は、“わがまま”を言って母のいるところに向かった。
「なんで来たの!」
母に言われた言葉だった。おそらくこの件があってから私はわがままを言わなくなった。この一件から、私の「生き方迷子」がはじまった。

幼稚園に通っていたときから小学校卒業まで、授業以外の時間はひたすら絵を描く子供だった。不思議と頭の中にイラストのイメージがぽんぽん沸いてくるので、思いつくままひたすらに描いていた。歴史の教科書の風景画を見たときにオリジナルのストーリーがどんどん沸いてくることもあった。頭の中でイメージしたものがそのまま描けることが楽しくて仕方がなかった。
絵を描くことが唯一の自分を表現する手段だったのだと思う。

就職に失敗。何度考えても、自分のやりたいことがわからなかった

小学校高学年のときに金管バンドとの出会いが、私の表現の仕方を大きく変えた。今まで絵を描くことでしか自分を表現できなかったが、音楽が加わったのだ。
だが、まったく自分の思い通りの音を奏でることができなかった。ヘタだった。
それでも、小学生の時吹奏楽部の演奏にときめいてから大学4年生まで吹奏楽を続けた。
大学生のころには、音楽を続ける理由が「表現する」から「全国大会に出る」にすっかり変わっていた。「音楽をとおして自分を表現する」という目的を失っていた私は、全国大会に出場し金賞を受賞したあと見事に燃え尽きた。

音楽に集中したいがために、あんなに夢中になっていた絵を捨て、勉強もしなかった(卒業はした)。音楽をする目的を果たしたとき、私は空っぽだった。空っぽのまま就職活動し、見事就職に失敗した。何度考えても、自分のやりたいことがわからなかった。ただ、その時の自分がすごく嫌だった。

新卒で入社した会社で適応障害になり、たった1カ月で退職。やりたいことがない自分を変えたくて、ずっと文化部だったのに体育会系の企業に入社したのだ。そりゃ、合わない。人には向き不向きがあることを学んだ。

自分に素直に生きる友達と過ごすことで、少しずつ素直さを取り戻した

それから、少しでも楽になりたくて、まずは「~すべき」思考から解放されるべく沢山の自己啓発本を読んだ。様々な本を読むうちに狭くなっていた視界がぱっと開かれるようだった。少しずつ自分を取り戻していく中で、母親と対立することが多くなったため、一度実家を離れて友達の家に身を寄せることにした。

友達と暮らすことで、さらに考え方が変わった。自分に素直に生きる友達と過ごすことで、少しずつ素直さを取り戻していった。
素直さを取り戻すと、今度は自分が匂いや音に敏感であることに気づいた。俗にいうHSP気質だった。そうわかってからは、電車やショッピングモールではイヤフォンをしたりしてストレスを軽減していった。さらに、直感によるリスク回避能力があることもわかり、以前にもまして生きやすくなった。

こうして自分の中身を取り戻して、やっと自分を表現するステージに立てるのではないか?(今気づいた)
今後の目標は、世間体にとらわれず、自分の思うまま沸いてくるものを何かで表現して、すこしでも安心できる時間を作ることだ。

まずは、自分に素直に生きます…!