私は父がずっとずっと嫌いだった。
幼い頃の記憶だと、父はいつも怒っていた。そしてずっと家にいた。
優しくないお父さん。一緒に遊んでくれず、出かけず、ずっと家にいた
小学校に入学した頃、私は幸せな家庭の中でのびのびと育っていた。
新しい戸建ての家に住んで、祖父母が面倒をみてくれて、両親が夕方仕事から帰ってくるとみんなで夕飯を囲んだ。
小学3年生になった頃から、父が毎日家にいるようになった。
私は父がリストラされたことが、どれほど重い現実かを分かっていなかった。
父とはあまり喋らず、でも私が何か気に食わないことをしてしまったらすぐに声を張り上げて怒っていた。父に対する印象は恐怖だった。
話をしても、受け入れてもらえない。すぐに自分の意見を押し通し、威圧的に返事をしてくる。父は私の中で、優しくないお父さんだった。一緒に遊んでくれることもなかった。出かけてくれることもなかった。ただただ、ずっと家にいた。
小学校6年生になったとき、一軒家を売り払って、ぼろぼろのアパートへ引っ越した。住み慣れた家を離れ、友達ともお別れをした。
引っ越しをしても父はずっと家にいた。
母はその間も仕事を続けていた。
私はお小遣いなんてもらったことがなく、何かが欲しくても、やりたくても、友達の家に泊まりにいくにしろ、お礼もできないしお金がないから駄目の一点張り。
周りの友達の家が羨ましかった。笑顔が溢れる家庭に憧れていた
私は両親を好きになれなかった。特に父のことはずっと恨んでいた。
母の悪口も言うし、私にも変わらず怒ってくる。
周りの友達の家が羨ましかった。楽しそうで、いつも週末は出かけていて、なんでも両親に言いたいことが言えて、笑顔が溢れる家庭に憧れていた。
次第に私は家ではほぼほぼ喋らなくなる。
もうこんな父と離婚したらいいのに……。と母に思っていた。
でも、両親が離婚をするかしないかの喧嘩をしたときに、私は大泣きして両親の喧嘩を止めてしまった。
……もう、こんなはずじゃなかったのに。なんでだろう。
なんとか高校を卒業後、私は実家を出たくて他県へ奨学金を背負い、進学した。その後もその場所でずっと看護師を続けてきた。
私の永遠の夢は、両親に私の幸せな姿を見せ続けることだ
時がだいぶ過ぎて、両親は親の介護をする立場になっていた。
父は今、近くの幼稚園のバスの運転手として非常勤で働いている。
孫のような子どもたちに、なんだかんだ言いながら毎日癒されている様子だ。
そんな父は両親の介護に対して、すごく熱心だった。
もちろん、昔のように愚痴を言っているときもある。
看護師として働くようになり、自宅で行う介護の大変さや医療現場にリアルに接するようになって、毎日熱心に親の介護をする父をすごく尊敬した。
ときにはアドバイスをした。最期はしっかりと祖父母を看取ることができた。
そして社会人として働くようになり、お金を得る大変さを知った私は、あのとき父がどんな風にリストラされたのか、その後何度も転職を続けては上手くいかずの繰り返しだったことが、どれほど一家の大黒柱として辛い体験だったかを考えるようになった。
今、私は父とよく喋るようになった。一緒に笑うようになった。
父は心配性で、私のことをすごく好きなんだと言うことが分かった。
そして何よりも私の幸せを願ってくれている。
私の永遠の夢は、両親に私の幸せな姿を見せ続けることだ。
今度、そんな父へ恥ずかしいけど手紙を書いてみようと思う。
お父さんへ
私は高校を卒業して、社会人として働くまであなたのことを嫌いでした。
もっと仲が良くて、お金に余裕がある家庭に生まれたかったと思っていました。でもあの時間、私はもっとあなたと向き合えば良かったと、支えてあげれば良かったと少し後悔をしています。
あのとき2人の離婚を私が止めたことは、今でも良かったと思っています。
今あなたと2人でご飯を食べたり、大好きな魚釣りに出かけたりする時間がすごく楽しいです。
私はあなたが私のお父さんで良かったと思っています。
これからも変わらない笑顔と、優しさでいてください。
今はすごくお父さんのことが大好きです。