10代では気付かなかった、単身赴任の父の偉大さに社会人になって気づいた

「子どもが父親と過ごす時間は3年」というのをずっと前に聞いたことがある。
私と父。
近いようで、一番遠い存在かもしれないと。
社会人になって、独立して改めて感じる父の偉大さ。
家族を支えてくれていたこと、大学まで出してくれたこと。
決して愚痴を漏らすことなく、懸命に働きに出る後ろ姿を見ながら育った私。
逆にいうと私はその姿しか知らなかった。
外でどんなことがあって、父が何に悩んだりしているのか知らない。
大人になった今感じることは、もっと知りたいということ、そして伝えたいことがある。
幼少期、平日の夜に夕飯を一緒にとった記憶はない。
たまに夜中にトイレに起きると帰宅する姿を見かけたり。
出勤も早く、私が起きると同時かそれよりも前に出勤していた。
だからと言って休日に寝ている訳でもなく、私たち姉妹を遊びに連れて行ってくれた。
お父さんとはこんな感じと思っていた。
学校行事には殆ど参加してくれていたし、貴重な夏休みを使ってキャンプや旅行へも連れて行ってくれた。
だから、父との思い出と言えば、日常生活の中というより非日常での出来事の中にあるものがほとんど。
でも卒業式には毎回来られなかった。
年度末、平日という一番忙しい時期でもあるから仕方のないことだった。
自分が成長した姿を、本当は一番に見て欲しかった。
私が、中学に入学する年に父の単身赴任が決まった。
周りは栄転と祝福。きっと今が一番頑張り時と応援する母。
私は複雑だった。
行って欲しくないとは言えない。なぜなら、私が初めて見た、父の嬉しさに溢れる笑顔。
離れて暮らした3年間。思春期の私は家族との時間より友達との時間を優先。
母や姉妹とぶつかることも多々。
父が独りで頑張っているのだから、「私も頑張らないと」と言い聞かせていた。
けれど、本来なら母と一緒に家庭を守る行動をしなくてはならない立場であったはずなのに、困らせた行動ばかりとってしまっていた。
いつしか、私は仕事よりも家族との時間をとってくれる人と家庭を築きたいと思うようになっていた。
10代の私は分かっていたようで、何も分かっていなかった。
20歳の誕生日に父から初めて手紙をもらった。
そこに書かれていた、私の名前の由来や幼少期からの思い出のエピソード。
「仕事を頑張り続けられるのは、家族がいるから」という言葉に堪えていた涙があふれる。
寡黙な父が、しっかり私を見続けてくれていたことが嬉しくて。
キャンプや旅行に行く前日は、いつもは滅多に買わないお菓子を買いに行くことが実は旅行ようりも楽しみだったよ。
テニス部でレギュラーに選ばれたとき、すごい褒めてくれたよね。
あの時は、部活をしている姿なんてほとんど知らないのに分かったように言わないでなんて反抗的だったけど、本当はすごく嬉しかったんだよ。
実はね、仕事の話をするときは他の誰と話すより充足感があるんだよ。
それは、何十年も走り続けてきた証がしっかりあるから。常に背中で教えてくれていたから。
社会に出て中々出会えないんだよね。真面目に頑張る人に。
それは一番身近に真面目に頑張る人がいるからだね。
一緒に暮らした時間は短いけれど、その時間を取り戻すことはできる。
これまでの感謝を伝える時間。まだまだ教えてもらうことはたくさんあるから。
父との時間を大切にしたい。
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