月に一度、単身赴任先の東京からお土産を手に帰宅する父を、いつから疎ましいと思うようになったのだろう。
父が帰宅すると母の機嫌が悪くなり、二人の言い争う声がリビングから聞こえてくるというルーティーンが確立してからだろうか。
父がパチンコを止めないことが、言い争いの一番大きな要因だった。
パチンコに全ての小遣いを費やし、足りなくなれば消費者金融で借金をし、その返済分を家計から引き出せと母に連絡する。そして喧嘩になるというパターンをぐるぐるぐるぐる。
何度もパチンコに通うのを止めるよう家族で説得したが、結局父がそこから抜け出すことは出来なかった。
熟年離婚して、悲しみや怒りよりも先に湧き出たのは安堵感
言い争いの原因は他にもあった。母に対する数々のモラハラだ。
母の仕事を「誰でもできる下らない仕事」と貶したり、一緒に住んでいた頃は母の帰りが遅くなると、見ているこっちがドン引きするくらいしつこく連絡していた。
「浮気をする男性が恋人を束縛する傾向が強いのは、自分がやましいことをしているから」とよく言われているその言葉が本当だということも、父から学んだ。
母から、私が小学生の頃に父が浮気をしていたことを聞かされ味わった気持ちは、きっと一生忘れられない。
長く取り組んでいたクイズの答え合わせが終わったような、不思議な感覚だった。
両親が熟年離婚をしたのは、私が大学を卒業してから二年後の秋だった。
弟の大学の学費を払い終えるタイミングを、母が長い間待っていたことは周知の事実だったので驚きはしなかった。
悲しみや怒りよりも先に、やっと言い争う声を聞かないで済むという安堵感が、心の底から湧き出たことを強く覚えている。
その安堵感は、父の単身赴任を知ったときの寂しさと同時に感じたものと、とてもよく似ていた。
これからは毎晩リビングから聞こえる喧嘩をベッドの中で泣きながら聞かなくてすむし、離れて生活することで離婚の可能性も低くなる。
間違いなく「感謝」はしている。ただ、「尊敬」はしていない
中学生だった私がそう考えるほど両親の仲の悪さは致命的で、二人が愛し合って結婚したという事実が信じられなかった。
周りから聞こえる「将来の夢はお嫁さん」なんて目標は一度も掲げた事はなく、むしろその言葉に背筋がゾッとするのは、どうしても両親の喧嘩が思い出されて怯んでしまうからだ。
それでも、父には感謝している。
東京で一人、私達家族の為に働いてくれた。
そのおかげで奨学金を借りることなく、大学まで通うことが出来た。
そう、間違いなく「感謝」はしている。ただ、「尊敬」はしていない。
この二つの感情は、似ているようで全くの別物だ。これも父から学んだことの一つ。
ただ、父に実は伝えたいことがある。
父は、よく私や妹弟に「いるか?」と、自分の分のご馳走や好物を分け与えてくれた。
それが愛情表現だったのだと気づいたのは、以前付き合っていた外国人の彼が同じことをしてくれたからだ。
何度も「最後の一口」をくれたことも、間違いなく一生忘れられない
彼もまた、美味しいご飯の「最後の一口」をくれる人だった。
食の趣味が合っていたから、私が好みの味は彼の好みの味のはずなのに。
生まれ育った国や人種が違えども、「美味しい食べ物を分け与える」ことは全国共通の愛情表現だと気付かせてくれた。
東京土産なのに、広島発の八天堂のクリームパン。駅前のミニストップの、チョコレートとバニラのミックスソフトクリーム。土曜日の昼に作ってくれた、味の濃い野菜炒めと焼きそば。近所の商店街名物のコロッケ。
そして、何度も「最後の一口」をくれたこと。
このことも、間違いなく一生忘れられないだろうな、と思う。
いつか父に伝えられる日がくればなと、頭の隅でぼんやりと願っている。