自転車をこいでいると、ツンと鼻につく雨の匂いを感じた。急いで帰らなくては、雨に濡れてしまう。ペダルを踏む足に力を込める。
雨を感じると、あの雨と思い出を時々思い出す。あの時も鼻につく雨の匂いを感じていた。
図書館で同級生の友人と話していた頃、外は土砂降りの雨が降っていた
玄関の扉を開けると、雨の匂いが鼻腔に迫ってきていた。傘を持って行かなくてはと、なんとなく兄の大きな傘を手に家を出た。貸すことを約束していた本を家に忘れてしまったので、放課後取りに帰ってきたのだ。
部活動中の同級生の邪魔をしないように廊下を抜けていく。見つけた。廊下に並べられた卓球台の奥に、目当ての同級生がいた。練習中なら邪魔はしないが、大して練習しているとも思えない。「本持ってきたよ」と、声をかけながら近づいた。無事に本が渡ると、更なる本を求めて、私は図書室へ向かった。
そこかしこと並べられている卓球台をすり抜けながら、歩いて辿り着いた図書館には、図書委員の同級生と部活の友達がいた。誰が誰を好きだとか、あの男子とは最近どんな感じだとか、中学生らしい内容のない話で盛り上がり、散々駄弁り、散々騒ぎ、そろそろ司書さんに怒られるかなと話していると、閉館の時間になった。
半ば追い出される形で3人で図書館を出ると、何故だか外で走っていたはずのサッカー部が廊下を走っていた。首を傾げていると外は土砂降りだった。窓のない図書館では気が付かなかったが、匂いだけだった雨がしっかり姿を見せていた。
図書館で話していた1人の友人が傘を忘れて、私は傘に入れてあげた
部活の友達は、常備していた折り畳み傘でことをなきを得たが、図書委員の子は雨を防ぐものを何にも持っていなかった。私の家は通り道だったし、私の傘は兄の大きな傘だった。入れてくれと目で訴えられ、渋々傘を開いた。
歩き始めると、なんとなく違和感を覚えた。少し歩くと小学校6年間ずっと一緒にいた同級生が、顔を赤らめて小さな声で謝罪の言葉を口にしていた。
あ、男だった。ずっと一緒にいた彼は男で、でもさっきまで中学生らしいなんの内容もない話で盛り上がって、なんなら恋バナまでしていて…と言い訳にもならないような、とりとめのない考えが頭の中でぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、回っていた。
ふと、どんな顔してるんだろ、恥ずかしがってるのかな、嫌がってるのかな、と急に私の好奇心がうずうずして、顔をのぞいた。彼もそんなことを考えていたのか、こちらを向いていて目が合ってしまった。
目が合うとなんだか恥ずかしくて、いつもよりもずっと近くにいる彼にドキドキした。彼の気持ちを読み取れるほど顔を見ていられなくて、余計にドキドキした。ちょっとずつ2人の距離が、どんどん離れていった。
「もっと中入れよ。濡れるよ」と声をかけてくれたけれど、「いやこれ以上近づけないって、むしろ遠ざかりたいって」と心の中で騒いでいた。「いやいや、そっちこそ濡れてんじゃん!入って入って!」とか言い返してみたけれど、内心これ以上近づかないでほしくて、心はドキドキ飛び跳ねていた。
背が高い君が傘をさしてくれていたのが、すごく嬉しくてドキドキした
お互いに肩をびしょびしょに濡らしながら、やっと家に着いた。「じゃあ、その傘明日返して!」と手短に言い残して、玄関ドアまで駆けて行った。肩だけ濡らした娘に不思議そうな顔を向ける母に、「傘さすのって難しいよね」とか言い訳しながら着替えた。
次の日の学校では、周囲に囃し立てられることなんかなくて、私が一人でドキドキしていただけで、なんだか拍子抜けしてしまった。それでもその日から気まずくなって、彼とはほとんど話すことなく卒業してしまった。成人式で会えるかと、少しだけ楽しみにしていたのに中止になってしまった。
今度会えたら、あの時のこと話してみようかな。少しだけ大人になった私たちは、どんな風にあの時のことを話せるのかな。背が高い君が、さりげなく傘をさしてくれていたのが、すごく嬉しかったな。あの日からあんまり話せなくなってしまったけれど、もっと話したかったし、一緒に写真を撮って卒業したかったね。
ずっとずっと仲良しな友達でいられると思っていた中学生の、思春期の男女の友情は脆くて隠れてしまったけど、今の私たちは前よりもずっと仲良くなれるかな。