あれは二十歳そこらの時のことだった。初めて学校の実習で田舎の介護施設に1週間ほど行った。
そこには色んな人がいた。居住している人やデイケアの利用をしている人。また、施設を憩いの場として利用している人、身体の動きには問題ないが認知症が進んでいる人や半身不随で車椅子生活の人。
そんな場所だから、温かく私のことを迎えてくれるおじいちゃん、おばあちゃんもいれば、距離をとって様子を伺っているおじいちゃん、おばあちゃんもいた。
1週間、いきなり現れた若い奴に相手にされることに抵抗を感じることは、割と当たり前だと思う。普通に考えて、見知らぬ孫と同じくらいの若者に自分の世話をされるなんて嫌に決まっている。
一緒に実習に行った同級生2人はどう思っていたかはわからないが、少なくとも私はそう思われて然るべきと思っていた。だから1週間かけて少しでも心を開いてくれたら……くらいに思っていたが、思いよりもかなり早く3日目には、少しずつ近づいて輪に入って来てくれたりする人もいて、何人かは心を開いてくれるようになった。
その中の1人に私がどうしても忘れられないおじいちゃんがいた。

寡黙。でも私のことが気になる?よく掴めないおじいちゃんとの出会い

そのおじいちゃんは病気の後遺症で下半身が麻痺していて、日々、電動車椅子で生活していた。この介護施設に居住し何年も生活していた。
おじいちゃんは上半身は動くのだが、その動きはかなりゆっくりで口の動きもあまりよくなかった。食事やお風呂の介助をさせてもらったり、一緒に和紙のちぎり絵や折り紙をしながらお話したりした。おじいちゃんの第一印象は、静かながらもよく人を見ていそうな人で、とてもシャイといった感じだった。
初日は、私が挨拶をしてもおじいちゃんはゆっくり首をペコっとして、電動車椅子を右手で操作しウィーンという音を鳴らし、私の前から去って行った。私から離れた所でたまにこっちをチラッと見ては黙々と作業をしたりと、避けてはいるがこっちが気にはなるといった感じだった。
それでも食事の介助をさせてもらいながら、返答はなくても少しずつ話しかけたりと私なりの努力をした。おじいちゃんは嫌な顔をしたりこそしないが、頷く程度で顔に感情を出して反応をしたりすることはなかった。1週間後には少し変わってるといいなぁと思いながら、私は過ごしていた。
おじいちゃんは早起きで、朝ごはんの前にいつも大広間の大きな窓のそばに電動車椅子で行き、遠くの景色を眺めている。晴れの日も曇りの日も雨の日も。これが朝の日課だ。
何を考え何を想っているのだろう。そっとその後ろ姿を見る度によく思った。

当たり前の素晴らしさを教えてくれたのはTSUNAMIを歌うおじいちゃんの涙

最終日はいつも通り過ごしていたが、午後は雨のためお庭でのラジオ体操はできず、室内レクの時間となっていた。多くのおじいちゃんおばあちゃんのリクエストで、カラオケ大会をやることになった。
演歌を拳を震わせながら歌ったり、昭和歌謡曲を入れたりゆっくりとした時間の流れだった。おじいちゃんはというと、みんなの歌を聴いているだけで自分は全く歌っていなかった。
私はおじいちゃんのところに行き、「何か歌いたい曲はありますか?教えて頂けたら曲を入れますよ」と声をかけに行った。すると、おじいちゃんが初めて声を発した。
「つ…な…み…」
おじいちゃんはそう言った。「えっと…サザンオールスターズのですか?」と聞くと、おじいちゃんは微笑んで頷いた。初めて笑った顔を見た。
80歳近くでサザンオールスターズを歌いたいとは、なんて粋なおじいちゃんなんだろうと思った。曲を入れていると、おじいちゃんに肩を叩かれてマイクを渡された。
「わたし…?」と言うと、「いっしょ…に」おじいちゃんはそう言った。
私はとても嬉しかったので、ぜひとお返事した。綺麗な山と緑の田園に雨がしとしとと降りしきる中、おじいちゃんと私はTSUNAMIを歌った。
歌の終盤になると、おじいちゃんの声があまり聞こえなくなったため、おじいちゃんの方を向くと、マイクを置いて涙を流していた。私はおじいちゃんの背中をさすりティッシュを手渡した。
駆け寄って来た職員の方が来て言った。
「おじいちゃん嬉しかったのよね。お孫さんとずっと会えていなくて会いたいのよね。きっとあなたがお孫さんと同じくらいなんじゃないかしら」
私は溢れそうな涙をぐっと堪えた。このおじいちゃんは会いたくても動けず、こんな田舎の施設に1人でずっと家族が会いにくるのを静かに待っているのかと思うと、胸がきゅっとなった。
何不自由なく人と会えることが当たり前になっている自分の背を正された気がした。そしておじいちゃんがいつも窓から遠くの景色を見ているのも、きっとこれが理由なのだろうと思った。
おじいちゃんは、窓の外の景色と、自分と私をサザンオールスターズのTSUNAMIの歌詞に重ね合わせて涙していたのだと悟った。
雨とともに思い出される記憶……。歌詞が、おじいちゃんとぴったり重なった。
おじいちゃんとはそれ以来出会うことはなかった。あれからもう10年近く経つが、おじいちゃんはどうしているだろうか。雨の日にTSUNAMIを聴くと必ず思い出す。
たった1週間だけの出会いが生んだ一生の思い出だ。