たとえば、この世界に私しかいなかったら、全く問題にもならないことなのに

現実はそうはいかないから苦しかった。当時のことをちょっと大袈裟に、感傷的になることはあるけれど、あながち間違いとは言えない。

天気予報を見て、自分の髪の毛の一週間を占っていた

週間天気予報を見る。傘が必要か、洗濯物が干せるか。そうではなく私は、憂鬱な自分の髪の毛の一週間を占った。
幼い頃は「かわいい」「外国人みたい」ともてはやされたこの髪も、思春期になるとコンプレックスの塊と化し私を縛りつけた。父譲りのクセ毛に母譲りの細い毛が相まって「オリジナル」の髪質が出来上がった。

中学生になったらそれまでとは違い、周りの女の子たちが変化してきた。強いコシとツヤのある髪を下ろし、颯爽と廊下を歩く姿は、それだけで正義だった。

髪なんて下ろせない。自称「お団子の呪縛」から長年解放されずにいた私は、前髪だけをドライヤーで念入りに成形するも、黒くて細いうねった髪は、学校指定の黒ゴムによって常に一つにまとめられた。

整えた前髪も、日中の活動でほぼ無意味になっていく。午後には見事にうねり踊った自分の髪の毛を見ては、勉強にも集中できないし、到底、好きな人に想いを伝えることすら叶わなかった。辛い思い出として今も心に影を落とす。

身に起こる悪いことは髪のせいと思っていた頃、縮毛矯正に出会った

あるとき3つ歳上の姉が人生を変える「すごいアイテム」を親に買ってもらっていた。それがヘアアイロンだ。試した私の髪の毛は熱いプレートに挟まれ、不思議なほどにストレートになった。

だけど当時のヘアアイロンは今ほど質が良くなく、温度設定もままならないただの熱い板に挟むだけだったので、異様に伸びた髪に不自然さは拭えなかった。しかし、いつでもどこでも手軽にコンプレックスが消える魔法の道具のようなそれは、私のなかではどんな神社のお守りよりも心強かった。

でも、どうしてもこの髪が嫌いだった。10代の思春期に起こるすべての悪いことはこの髪のせいだと思っていた。

高校入学直前、お年玉を握りしめて向かった先は、近所の美容室だった。昔からの知り合いの美容師に勧められて縮毛矯正というものに出会った。

当時、今では考えられないくらいの高い金額と5〜6時間にもなる長い施術時間という壁を超えて出会った自分の髪は、あのとき颯爽と廊下を歩いてなびかせていた「正義の髪」だった。高校デビューしたその髪は、アイロンで伸ばしたパサついた異様な直毛ではなく、ツヤのある、目指していた形があった。

自分の容姿を愛している彼女たちを見て気付いたこと

もう雨も台風も豪雨も何も怖くなかった。みんなと同じように週間天気予報を見ては傘の必要性や雨で遅れてくるバスのことに関心を寄せることができた。

けれども本当の意味で私は変われなかった。直毛にしたら、すべてがうまくいくと思っていたのに、ついつい気にして髪を人前で触ることがやめられなかったし、すでにまっすぐな髪にアイロンをあてては心を落ち着かせていた。変わるのは髪ではない。そう思えたのはもっと後になってのことだった。

その後、大学に入学し、大学というところには随分といろいろな人がいるものだと感じた。キャンパスライフが後押ししてくれた自由な雰囲気は、それとなく私の髪への思いも自然と変えていった。

ある時、留学生と交流した。いろんな色のいろんな髪があり、それらひとつひとつは個性的で、何より彼女たちが自分自身の髪や容姿を愛していて自信があった。人を見た目で判断せずに、自分自身をしっかりと捉えていた彼女たちは同時に私にもその様に接してくれた。

そもそも、私は昔から、髪がクセ毛だからできないと、何でもかんでもできないことをクセ毛のせいにしていた。そしてそんな自分が劣ってると感じていた。ストレートなツヤのある髪が正義と決めつけ、そこから逸した自分の髪は悪とでもいうかのように。

そうではなく、クセ毛を含めたオリジナルの自分を丸ごと愛してあげるということに気づくのに少しだけ時間はかかったけれど、いまも直らないクセ毛は私のチャームポイントの一つとして誇らしく今日もうねる。

窓に雨粒が当たり、雨の匂いがしてくる。そんな日はやっぱりちょっと憂鬱だけれど、前よりも笑って、傘をさして出かけることができる自分がいる。