雨は好きじゃなかった。特に小学生の頃。
 通学路は細い道。アスファルトには凹みが多く靴はびしょ濡れ。ブロック塀には傘が引っかかり、前の、後ろの人に水を飛ばし、飛ばされ。
 特に月曜朝の雨は最悪だ。体育着の入ったピンクのハムスター柄の袋は、学校に着いた頃にはしっとりと濡れている。ランドセルに押し込んだ給食着は、折角かけてもらったアイロンは何処かへ行き、鞄の隙間から入った雨により透明っぽい白色に変わっている。
 びしゃびしゃになった赤色のランドセルを机に置けば、机からはツン、と木とホコリとパンのカスの臭い。ため息混じりに机を拭き、薄い茶色に染まったティッシュをゴミ箱に捨てた。
 音に過敏なので、苦手な音も多い。その中でも一番は、濡れた床と靴の擦れる「キュッ」という音。湿気によってツルツルと滑る床と上靴は、相性が悪かった。だから、雨の日の学校は大嫌いだった。
 こんなの、誰に言っても理解して貰えない、と年端も行かぬ子どもながら、一人孤独を感じていた。泣き虫な私は、そういう小さな孤独や不快や苛つきで、明確な理由が分からないまま、よく鼻をすすっていた。

雨の日嫌いの私を変えた、心地の良いミュージックと共に踊る主人公

 ところで私は、ミュージカルが好きだ。
 「歌と踊りは人間の本能だ」と言ったのは私の父である。私も、四つ下の妹も、歌うことが大好きだ。気分の良いときは鼻歌を歌うし、機嫌の悪いときも歌えばたちまちご機嫌。
 そんな私がミュージカルの金字塔である「雨に唄えば」に出会ったのは中学二年の冬。クリスマスプレゼントで音楽プレイヤーを買ってもらったすぐ後だ。
 ガツンと頭を殴られた感覚に陥った。Singin' in the Rain 、なんて明るく美しく、耳に心地良い音楽なのか。すぐに図書館へ行き、ビデオを観た。
 主人公が雨の中、傘もささずに歌い踊るシーンは、私の頭と心にスッと入った。まるでこれに出会うために生まれてきた、とでもいうように。
 そこからだ。雨が嫌いでなくなったのは。
 雨が降ると同時に、私は脳内の音楽プレイヤーを再生する。私の頭の中には高性能なプレイヤーが入っており、いつ、どんなときでも音楽を再生してくれる。問題なのは、再生されていないときが無い、ということくらい。
 小学生の時はプレイヤーを持っていなかった。多分、脳内プレイヤーの再生リストが少なかったからだろう。この時にピッタリなのはこの曲! がなければ、このプレイヤーは再生できない。
 雨が降るたび、私は「雨に唄えば」を歌う。特に夜中。ミュージカルのシーンと同じように、でもミュージカルとは違って下手くそなダンスも。私の嫌いな「キュッ」の音(これは、決して廊下と上靴だけが生み出す音ではない。ゴム底の靴と滑る床さえあればどこでも鳴り出す)だって頭で音楽を再生すれば、気にならない。

知らないうちに音漏れしていた、雨の日のご機嫌イヤホン

 ついこの間の雨の日。私は友人とショッピングモールを歩いていた。時折聞こえる苦手な音。すぐに私は優秀なプレイヤーでSingin' in the Rainを再生した。
「すだれって雨の日、いつもご機嫌だよね」
 友人の言葉に、私は思わず瞬き。
「そんなことないよ。雨は苦手」
「そうかな。だっていつも、雨が降ると鼻歌」
 鼻歌を歌っているのは、家の中か、一人でいるときだけのつもりだった。
 私の音楽プレイヤーは、イヤホンではなくスピーカーだったようだ。
 友人は笑って続けた。
「雨の日にご機嫌なんて、幸せだよ」
 そう言われてしまえば、ご機嫌じゃないよなど返せない。
「そうか、ご機嫌か」
 理由の分からぬ癇癪で泣いていた私は、知らないうちに靭やかな心を身に着けていたようだ。

 雨。服は濡れるし髪の毛もしんなり、パンプスはびしょ濡れ。
 でも私は、雨が好きだ。
 だって私には、雨の日の為の、最高の1曲があるのだから。