私はそこまで美人ではない。
"ミス○○"とかになろうともなれるとも思ったことはないし、人から「かわいい」と言われることもほぼない。肌も悩みだらけだし、体型も自慢できるようなスタイルなんかではない。
しかし、私はすっぴんで出歩くことに何の抵抗もないし、「もっとこうだったらいいのになぁ」と思うことはあれど、自分の肉体を疑問に思ったことはない。
そういうものだと思っているからだ。
女子のみの部活で、『共学の女子』と自分の違いを知ることになる
私は中学高校と女子校に通っていたが、「さすがにそろそろ女ばっかりは嫌だ!恋愛とかしてみたい!男子と出会いたい!」という不純な理由もあって、大学は共学のところを選んだ。大学には当然男子の姿があり、これから始まる(と期待していた)漫画のような青春の気配にワクワクしたものだ。
そのくせ私は、課外活動として女子のみの部活を選んだ。地元を離れた都心の大学に来てしまって、なんだかんだ、女子ばかりの空間に親しみを感じてしまったのだ。
結局その部はすぐ辞めてしまうのだが、私はここで『共学出身の女子』と自分の違いを知ることになる。
先輩たちは「うちの部は女子校みたいな感じ」と言っていたが、女子しかいないこと以外は、女子校とは全然違う場所だった。
生活圏に男子はおらず、批判できるほどじっくり見たことすらなかった
私を困らせた最大の問題は、話の内容が違うことだ。
組織が違うのだから内容が違うのは当たり前だが、選ぶ話題のジャンルがそもそも違うのだ。
部には私のように女子校育ちの子もいたが、半分以上は共学の高校から進学してきた子たちで、彼女らはかなりの頻度で『男子』の話をした。
彼女たちにとって同世代の男子は、至って身近なものでありながら自分とは一線を画す、ありふれていながら特別な存在で、『男子』と『女子』の間には独特の距離感があるようだった。しかも、女子ばかりの空間で行う男子の話は本音トーク的な色が強く、かなり辛口な批評が飛び交った。
恋愛だとか出会いだとか言っていたくせに、これに私はついていけなかった。
それまでの私には同世代の男子なんて生活圏におらず、なんなら実在しているのかも疑わしいほど遠い存在だった。なので、恋に堕ちるようなドラマチックな展開以前に、批判できるほどじっくり見たことすらなかった。
その距離感を引きずっていたので、教室で隣に男子が座ろうと同じ班になろうと「男子だ……」と思うだけで、それ以上の感想を持つことがなかなか出来ない。
「さっき隣に座ってた彼のことどう思う?」と聞かれても、「うーん…どう…どうって言われてもねぇ…」としか返せない。
これが、男女の独特な距離感の正体なのではないかと思い至った
ある日、例によって『○○部のA君とB君』の話になったときのこと。
「A君の顔でB君の体だったら良かったのに~」
「ウケる、PPAP的な?」
「それ!めっちゃ理想〜!だったら絶対付き合いたい〜!」
「逆に余ったパーツが可哀想(笑)」
という友人2人の会話に、私はなぜか、ひっそりショックを受けてしまった。
それ、けっこう酷いこと言ってない?もし偶然A君かB君が聞いちゃったらかなり傷つかない?と。
断っておくが、共学出身者を一括りに悪く言うつもりは全くない。「異性の見た目に対する目線がこんなにもしっかりあるのか」とカルチャーショックを受けたのだ。
そして、私が感じていた男女の独特な距離感の正体はこれではないかと思い至った。
自分とは異質のものだから、どこか優劣を審査するように見れてしまう。きっと男子たちも男子だけの時は「あいつ胸はデカいけど顔が微妙だよな~」とか言ってるんだろう。
私が男子と触れ合ってこなかったから分かっていないだけで、たぶん共学の女子たちは審査される側の経験もあるのだろう。男子たちの無邪気な評価を偶然聞いて、傷ついたことがあるのかもしれない。
これはなかなか恐ろしい呪いになり得ると思った。もしもっと幼くて多感な時期に、何か見た目へのコメントを言われたら、思いがけず深く突き刺さって、ずっと抜けなくなってしまうかもしれない。言った側は何気なく言ったとしても。
見た目を外から評価することは、相当気を遣うべき問題では
しかし何より驚いたのは、それが何気ない日常会話としてサラリと消費されたことだ。
A君の顔をしてB君の体を持つ男性を良いと思うのは個人の勝手だが、それは軽く口に出して良い内容なのだろうか。これがA君かB君を傷つけるために意図的に行われた会話だったら、悪意が分かりやすくて咎めるのも容易だったかもしれない。
見た目は一朝一夕に変えられるものでもないし、素の体は1人につき1通りしかないのだから、それの良し悪しを外から評価することは本来、相当気を遣うべき問題ではないだろうか。
私は思春期に顔のニキビが酷く、もはやニキビがない部分を探すほうが難しいほどだった。
「綺麗になりたい」と思って日々試行錯誤した。同級生たちと比べて明らかにニキビだらけな自分に落ち込むことは多々あったが、ニキビとの攻防に一喜一憂する時間は単に悲壮なだけではなく、"課題に工夫して立ち向かう自分"を肯定する気持ちも、ほんの少しはあった。1個ニキビがなくなっただけでも嬉しかった。
もし他人から「もっと綺麗にならなきゃ、肌汚いよ」と言われてやっていたら、もっと苦しいだけの日々だったと思う。たかが1個減ったくらいじゃダメ、私は汚いんだから綺麗にならなきゃいけないの、と。
あの時、友人や先生たちは肌についてあえて言及したり、ニキビによって私の評価を下げたりはしなかった。もしあの頃、私の日常に『男子』の目線があって、「アイツの肌ちょっとな~」と言われているのを聞いてしまったら、自分の『女子』としての全てを否定されたような絶望を感じていただろう。
私は、当時何も言わないことで配慮をしてくれた人たちに、今でも感謝している。
A君とB君をドッキングしたあの子とはもう疎遠になってしまったが、どうしているだろうか。ファッション雑誌から出てきたみたいに可愛くて、男子にもすごくモテる子だった。きっと今でも綺麗なんだろうな。
もし今、あの日に戻れたら、
「見た目の話題ってけっこう重いことだし、気をつけた方がいいと思うなぁ」
と、私は言うだろうか。言えないだろうなぁ。