もしも、あのルールを破れたら……私は容姿のことで、いじめられなかったかもしれない。
もしも、あのルールを破れたら……私はもっと笑って過ごす時間が多かったかもしれない。

でも、もしもあのルールを破ったら、私は一生、自分を好きにはなれなかったと思う。

幼少期から容姿を悪く言われ、そのことに疑問を持つ暇さえなかった

「あのさ、目を二重に整形してきてくれる?」と、ずっと憧れだったエステ業界に入り、研修期間中に上司に言われた言葉だった。

私は自分が可愛いや綺麗だなんて、思ったことはない。だけど、どうして美容関係のお仕事に飛び込んだのか。それは、私が人一倍自分の容姿について悩んでいて、それを沢山研究して肌を綺麗にしていき、ダイエットに夢中になっていくうちにとても興味が湧き、“ありのままの自分で輝くことは不可能ではない”と教えてくれた人がいたからだ。

そして、自分と同じように、“整形には抵抗がある。でも、自分の容姿が嫌いだ”と、悩んでる人がたくさんいるのではないかと思ったからだ。

私はルールを決めていた。それは、“整形をしないこと”。たとえ、プチ整形だろうが。もちろん、整形してる人を否定したいわけじゃない。容姿が変わることで笑顔が増え、性格が明るくなるならひとつの選択肢だとは思う。

どうして私がそこまで整形を“しない”と決めていたか。それは幼少期から、物心がついた頃から、親族から容姿を悪く言われ続けてきたから。特に、一重まぶたにはいつもいつも、バカにされていた。そんなに、いけないことなのか? そんな疑問を抱く暇さえ与えてもらえなかった。実の母親でさえ、アイプチの道具を買ってきたくらいだ。あの時は本当に、悲しかった。

綺麗と言われなくても「そのままでいい」という言葉が欲しかった

「可愛い」「綺麗だ」と、言われたわけじゃなかった。ただただ、「あなたはそのままでいいんだよ」その言葉が一番欲しかったが、誰もくれなかった。だから整形に手を出すことによって、私の唯一の味方だった私自身を否定してるようで、少しでも手を加えてしまったら本当に心の底から自分を嫌いになり、認めてくれる人がいなくなると思っていた。

誤解されたくないが、本当に整形してる方を責めるつもりは1ミリもない。ただ、私は、整形をしないというルールを自分でつくっていた。

22年間ずっとコンプレックスで、悩んで、いじめられて、親族にはからかわれて、やっと自分でやりたい事を見つけ、思い切って転職した先で「二重にしてきて」と言われた。その上司は、私の面接をしてくれた人だった。

もちろん、化粧はしてるものの、ありのままの私で。履歴書の写真も、面接時も顔を見ているはずなのに、採用していざ、働き始めた頃に私は振り出し……いや、それ以上辛い環境に戻された。

わかっている、エステ会社なんて綺麗な人が施術して、お客さんに憧れられる存在であること。ただ、私は、同じような思いをしてる人に、「一重でも綺麗になる道はあるんです」と実感し、全身で伝えたかっただけ。

でも、そんなに現実は甘くなく、綺麗=顔が整っているということだった。「美しさは見た目だけじゃなく、内面から溢れるものであるんです」とどうしても誰かに伝えたくて、何より私自身がそれを感じたかったんだ。

自分で決めた「整形をしない」というルールを破ることなく退職した

今まで散々言われてきた容姿のこと。ここで、諦めていいのか。二重にさえするとこのままエステ会社で働くことができる? 今や整形は珍しいことじゃない。

だけど、私は、次の日に退職を決めた。もっと話してみたら良かったのかもしれないし、ただの逃げであることは重々承知していた。でも、わたしは、私のルールを破れなかった。破らなかった。ルールを破ったら、本当に終わりな気がした。私が私を捨てたら、私の本当の姿は本当に誰も、私でさえも受け入れられなくなると思った。

「ブスはブスなりに自分のことが好きなのよ、でも、周りがそうさせない」と、ドラマで聞いたセリフ。……そう。認めたいの。自分のことを。だけど「自分は可愛くないのか?」と自問自答する暇さえ、この世の中は与えてくれない。私はあまり太らない体質だった。だから体についてはあまり悩まなかったが、これで顔だけじゃなく体にも色々言われていたら、おそらく拒食症になっていただろう。

このルールを破れなかったことで、親族だろうと、デリカシーのない人間との距離の置き方、自分の守り方を今になって身につける事ができているのかもしれない。

あの日、あのルールを破らなかった自分をいつか誇らしく思えるよう内面から輝き、それが私の大切な人に伝わったら、ほんの少しでも自分を好きになれるかもしれない。その日まで私でいようと思う。