多くの長子がそうであるように、わたしは「しっかりした子」と言われて育った。幼稚園生の頃は、そんなわたしを慕ってくれる友人も多く、「美緒ちゃんが遊ばないなら私も遊ばない」と言われたり、「ふたりだけで遊ぼう」と誘われたり、いつも輪の中心にいた。
やりたいことはやりたいと言い、やりたくないことはてこでもやらない。それで許される世界だったのだ。だってわたしは人気者だったから。わたしがやることはみんながやり、わたしがやらないことはみんながやらなかった。
わたしにとってそれは当たり前のことで、幼稚園生ながら、世界はわたしを中心に廻っているとさえ思っていた。
だから知らなかったのだ。
自分が井の中の蛙だったなんて。

世界はわたしを中心に廻っていると思っていた。でも現実は違った

小学生になると、同じ幼稚園から上がった子は数人しかいなかった。わたしは一から友だち作りというものをしなければならなかったが、そこに不安は無かった。だって世界はわたしを中心に廻っている。わたしが自ら話しかけなくたって、みんなが声を掛けてくるだろうと思っていた。
でも現実は違った。
わたしの周りに集まって来る子は、数人の、同じ幼稚園出身の子だけだった。わたしは焦った。そして憤った。どうしてわたしに話しかけてこないのか。どうして誰も寄ってこないのか。

結局、小学校低学年で出来た友人は、同じ幼稚園出身の子と、その子たちが声をかけて仲良くなった子の、数人だった。その時点で気づけば良かったのだ、わたしは世界の中心にはいないと。
でもわたしは気づけなかった。まだ自分を中心に、話しかけてこないだけで、みんながわたしを慕っていると信じ込んでいた。気に入らない発言をした子はとことん問い詰めた。
どういうつもりでその発言をしたのか、わたしはこう思うけどあなたはどうなのか、あなたの発言のここの部分はおかしいのでわたしに謝るのが筋じゃないのか。
面と向かって、わたしに「嫌いだ」と言ってくる子はいなかったけれど、きっとみんな、わたしに辟易していたことだろう。徐々に周りから人がいなくなっていっていることに、気が付かなかった。

「もういい」と言い捨てて、教室を出たわたしを気にかける子はいなかった

決定的となったのは、小学六年生の、学級新聞を作る時間。一班から六班に分かれていて、ひと月ごとにひと班ずつ、学級新聞を作るというものだった。
わたしは、クラスの男子と女子にそれぞれ、算数と国語どちらが好きかというアンケートに理由と共に答えて貰おうとした。休み時間に、女子から順番に聞いていき、そちらを終えて、男子にも回る。
「算数と国語どっちが好きか、理由も一緒に答えてもらえる?」
わたしの言葉に、ひとりの男子が「いやだ」と言った。まさか断られると思っていなかったのでおどろきつつも「真剣に考えてもらえる?」と言うと、その男子は再び「いーやーだーね」と言うと、顔を逸らした。呆然としていると、横から、「お前何様だよ、それが人にものを聞く態度かよ」という声が聞こえた。
そちらを向くと、いつもは物静かな男子が、冷ややかな目でわたしを見ていた。その目は、わたしの傲慢さを見透かし、こちらに見せつける鏡のようだった。わたしはあまりの恥ずかしさに、「もういい」と言い捨てて、教室を出た。
それからわたしは、卒業までの時間を、ほとんどひとりで、本を読んで過ごした。本を読むのは、幼稚園に上がる前から好きだったし、苦ではなかったけれど、そうしているわたしに誰も話しかけてこないという事実が、わたしの自尊心を傷つけていった。

そうして、わたしは中学生になった。中学受験をしたわたしは私立中学に入学し、小学校の友だちとは離れ離れになった。しかし、頭の片隅に「お前何様だよ」という声が、いつも響いていた。
幸い、友人はすぐに出来たものの、わたしはもう恥をかきたくない一心で、休み時間は本を読んで過ごした。そんなわたしを、周りはいつしか「マイペース」と評するようになった。
そうか、いまのわたしはマイペースに見えるのか。
そう思うと、なんだか少しだけ楽になった。
高校へはエスカレーター式にそのまま上がるが、外部受験生はいるので、友人の幅も広がっていった。そして、高校からの友人からも「マイペース」と言われるようになった。

相手の発言の理由を把握するのは、わたしの中で譲れないことだった

だけど、どうしても抜けない癖があった。それは先に書いたように、問い詰めることをしてしまうということ。わたしはこう思うけどどうなの。
わたしはこれドウドウ癖と呼んでいる。
相手がどういう理由でその発言をしたのか把握するということは、わたしの中で譲れないことだったのだ。

特に顕著だったのは、大学時代。アルバイト先の居酒屋で新人教育を任されており、新人の失敗はわたしの失敗、という扱いを店長から受けていた。なので、新人がミスをすると、説明したけどそこんとこどうなの、どうして間違えたのと問い詰めていた。当然、バイト先の子たちからは嫌われていただろう。
でも、そんなわたしがわたしも嫌いだった。そもそも、この歳になって人前で怒ることがダサい。店長に怒られるからって、そんなもの聞き流してしまえばいいのに。まだ「女王」気取りなのか。どうしてこんなにみっともないんだ。自己嫌悪に陥っていた。

そんなとき、敬愛するある作家の「自分ほど滑稽な生き物っていない」「みっともなさを受け入れてね」という言葉を見かけた。わたしはハッとした。
みっともなさというのは、受け入れるものなのか。目が覚める思い、とはこういうことをいうのだろうか。結局、そのバイトを卒業するまで、その作家の言葉を胸に恥晒しの鬼であり続けた。

さらにある日、友人たちに、「小野寺はかっこいいよな」と言われた。どういう意味、と聞き返すと、「自分の軸がしっかりしてる」と。わたしが短所だと思っている部分を、みんなは長所だと捉えていてくれていたのだ。

未だにわたしのドウドウ癖は治っていない。
しかし、あの作家の著書の中に「痛々しさで死んだ人間なんていないよ」という一文がある。他人がわたしを嫌いでもわたしが「わたし」でしか生きられないのであれば、わたしはこの言葉を胸に刻んで、この言葉がわたしを赦してくれる限りに、ドウドウ癖を抱えたまま、ダサくみっともなく、「わたし」というものを見せつけていこうと思っている。