同世代の親より一世代上。おじいちゃんくらいに思っていたお父さん

お父さん。いつも無口なお父さん。気がつけば話さなくなっていたお父さん。鬱陶しく思ってしまったことも……。いや、うちにそんなお父さんはいない。そもそもお父さんは無口ではない。饒舌でいつも笑いが絶えない。鬱陶しく思ったことは、一度もない。

失礼な話なのだが、同世代の親より一世代上であるため、おじいちゃん、くらいに思っていたからかもしれない。お父さんと気まずくなる、という思春期は来なかった。

ただ、私が大学生になるまで、仕事盛りだった父は片道2時間の通勤で夜遅くまで仕事に邁進し、休日はゴルフで接待やらのザ・サラリーマンで、小さい頃に遊んだ記憶はあまりない。

唯一父との2人の時間。大学生の頃、父は毎日駅まで送迎してくれた

私が大学生になり、父はようやく仕事も落ち着き、定年前の緩やかな時期に入った。
しかし、今度は私が片道2時間の通学、授業、サークル、アルバイト、と余す時間がないほど、毎日を目まぐるしく過ごしていた。そんな私を見かねた父が、毎日駅まで車で送り迎えをしてくれた。その時間が唯一2人の時間だった。

私は、大学生という4年の間に必ず、学業とアルバイト、友人と遊ぶ、以外になにかを成し遂げると決めていた。そして、ダブルダッチに出会った。予定ではなかったが、なんだか直感が働いた。後に、全国優勝を目指し没頭した。

だが、私にはとても現実的で一般的な幸せを求める母がいる。夢を語ると、そんなの無理に決まっている。と優しい応援はされない。私の健康と幸せを想ってのことだと今なら分かるのだが。私は頑固者で、一度夢を決めたら何を言われようと、絶対に諦めない。

毎日授業へ行き、空いた時間に練習、往復4時間の通学後、アルバイトに行った。友達に誘われた飲み会にも参加せず、旅行も行かず、ダブルダッチ、授業、アルバイトの優先順位を崩さなかった。

疲れきって帰った直後にお風呂も入らず、マッサージ機に埋もれて寝てしまう私に、もう辞めたら?と心配する母。その頃の私には母の言葉が毎日嫌味に聞こえていた。
とはいえ、大学から始めたダブルダッチも順調ではなく、結果も出ず、自信もなくなっていた。頑張っても結果が出ない、友達の誘いも断り、成績も下の方。家に帰ると諦めろと言わんばかりの母の圧力。とにかく苦しかった。

初めて心の内を打ち明けた私に、力強いエールを送ってくれた父の存在

毎日の送り迎えの車の中。今まであまり深い話や相談をしてこなかったが、大学はどうや?と聞いてくる父に少しずつ悩みを話していた。

そんな私に、「大学で出会った友達は一生の友達だから、何があろうと友達は大事にしろ。それとやりたいことがあるなら、とことんやればいい。人生は一回しかない。大学は4年しかない。お父さんも大学時代、格闘技に没頭した。今でも仲間とは付き合いがあるし、大学時代は青春だ」と力強くエールを送ってくれた。

母の言葉に落ち込んだ時も、怪我をしてしんどかった時も、自信がなくなりもう辞めようかと悩んだ時も、「それが本当にしたいことなのか?辞めたいなら辞めたらいい。けど、本当にそれでいいのか?そうじゃないなら、お父さんは応援する」と背中を押してくれた。

そんな父の言葉と優しさに、私は諦めずに踏ん張ることができ、私の夢は大学3年の夏、関西大会で優勝、全国大会で2位、世界大会で優勝を果たすことができた。
とってもとっても苦しかった大学時代に思いもよらぬ良い結果を残せたのは、いま大学の友達や仲間が私にとって大切な存在になっているのは、父の存在があったから。

もちろん母、仲間、友達、感謝しきれないくらいに人に恵まれたこその結果ではあるのだが、父の存在がなければ私の栄光と青春時代はなかっただろう。
だから、いま改めて。私の青春時代を支えてくれて、人生で大切なことを教えてくれて本当にありがとう。すぐ側に味方がいることは何よりも心強かった。

人生を謳歌せよ。
父がよく言うこの言葉を胸に、これからもそれぞれの人生を謳歌しよう。